【滋賀】長浜市の小谷山で一日回峰行に挑戦 その4 (大石垣から絶景の岩場へ篇)

城郭めぐり
この記事は約3分で読めます。

比叡山延暦寺の荒行「千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)」を始めた相応和尚(そうおう かしょう)の生まれ故郷は、滋賀県長浜市田根地区(ながはまし たねちく)です。

毎年、五先賢の館では「一日回峰行(いちにちかいほうぎょう)」という催し物が行われているので、その次の日(2019.05.19)にひとりで気ままに一日回峰行してきました。

小谷山周辺地図
小谷山周辺地図

「浄心平」から「月所丸跡」を経由して分岐点まで行き、「大嶽城跡」には寄らずにそのまま「桜馬場跡」まで下って、そこからの景色を楽しみました。

スポンサーリンク

山王丸跡の虎口の手前まで戻って

山王丸跡の破壊された虎口
山王丸跡の破壊された虎口(左)本丸(中)山王丸(右)大石垣

一日回峰行のルートマップに従って「桜馬場跡」から登山道を引き返し、「山王丸跡」の破壊された虎口(こぐち)の手前まで登ってきました。

織田信長

小谷城跡では過去に「小谷城の戦い」があり、この地域を治めていた浅井長政(あざい ながまさ)と、尾張国の織田信長が戦っています。

浅井長政とは、織田信長の妹であるお市の最初の嫁ぎ先です。
浅井三姉妹(お茶々、お初、お江)をもうけています。

そのときに織田信長軍の羽柴秀吉が、山王丸の出入り口である虎口を破壊しました。
当時の様子そのままに、現在も大きな岩があたりに散らばっています。

山王丸側面の大石垣跡

さて「山王丸跡」の手前から右の方へ回り込むと、山王丸側面の「大石垣」に着きました。

もともと曲輪の外側を支える大きな石垣なので、「大石垣」までの道は整備されていません。
また寄り道になってしまうので、立ち寄る人も少ないようです。

山王丸の大石垣跡
山王丸の大石垣跡

長年の風雨に晒(さら)されたせいか、「大石垣」はところどころ石が崩れ落ちていました。
足元には石がいくつも転がっていますが、ずっと放置されたままのようです。

急な山道を下りて絶景の岩場へ

ところで一日回峰行のルートマップを見ると、「大石垣」からふもとの集落へとつながる登山道が記されています。

案内標識も何も無いので、以前「大石垣」を見に来たときにはまったく気付きませんでした。
今回はその前を横切って奥へ行き、そこから始まる山道を下っていきます。

ふと腕まくりをした腕を見たら、1センチほどのシャクトリムシが付いていました。
たまに草むらの中を歩くので、長袖シャツは必須になります。

まれにフィールドアスレチックのような場所もありますが、最初の内は何とか大丈夫でした。
ところが次第に、生えている松の木の本数と露出する岩場の面積とが増えていくのです。

この先ロープを頼りに岩場の縁を歩くので、高所恐怖症の方はご遠慮ください。

岩場から見る絶景

さてロープに掴(つか)まりながら岩場を歩いていくと、谷側の視界を遮(さえぎ)るものがなくなり、壮大な景色が広がりました。

折からの風で帽子が吹き飛ばされそうになりましたが、何とか堪えながら絶景を楽しみます。

ふもとに見えるのは、須賀谷温泉の建物群です。

折角なので、反対側の景色も見に行きました。
見えるものは山ばかりなのですが、実際に見るとやっぱり雄大さが違います。

絶景なのに見ている余裕がなくて

この「絶景の岩場」は高所にある険しい岩場を歩くことになるので、一見すると通行が困難な難所のように見えます。

ただ一日回峰行は、小学校低学年の児童から元気な高齢者まで参加できる催し物です。
岩肌をよく見ると、人工的に削ってあったりして、かなり歩き易くしてありました。

怪我をした少年

それでも岩場なのでふざけていると、すぐに大怪我をしてしまいそうです。
コケることがないように足元ばかり見ていたら、絶景を楽しむのを忘れていました。

つぎはふもとまで歩いて帰ります。

コメント

タイトルとURLをコピーしました