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【滋賀】あじさいの時期なので長浜市余呉町のお寺へ その2 (毛受兄弟の墓篇)

名所史跡めぐり
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滋賀県長浜市余呉町(ながはまし よごちょう)には、全長寺(ぜんちょうじ)という、アジサイ(紫陽花)と達磨大画像(だるま だいがぞう)で有名なお寺があります。

つい先日(2020年6月中ごろ)たまたま、全長寺がアジサイで有名なことを思い出したので、見に行くことに。
本堂も拝観できたので、達磨大画像をはじめとして、いろいろなものを見られました。

全長寺を訪れて、すこし早めのアジサイを見たあとは、本殿に入って、お寺の方の案内のもと、達磨大画像心経竹軸などの寺宝を拝観しました。

柴田勝家に忠義を尽くした、毛受兄弟

全長寺には毛受兄弟(めんじゅ きょうだい)の位牌が安置されており、彼らの菩提寺になっています。
すぐ近くには毛受兄弟の墓があるようなので、帰りに立ち寄ってきました。

柴田勝家

毛受兄弟は水野照晶の子として、尾張国春日井郡稲葉村(現、愛知県尾張旭市)で生まれました。
兄の茂左衛門、弟の庄助はともに、若い頃から柴田勝家(しばた かついえ)に仕えています。

とりわけ弟の庄助は、活躍が甚だしかったようです。
伊勢長島の戦いでは手柄を立てて「勝家」の字を賜り、「庄助照景」から「勝助家照」に改名しました。

豊臣秀吉

賤ヶ岳の戦いでは柴田勝家に付き従いますが、敗色が濃くなると、その身代わりになって討ち死にしました。
秀吉は敵ながら毛受兄弟の忠義に感じ入り、手厚く遺体を葬ってその遺族を保護したそうです。

毛受兄弟の墓へ

案内板にしたがって、自動車で細い道を進んでいくと、毛受兄弟の墓の近くに着きました。
六地蔵の前の広場に停めましたが、駐車場ではないのかも知れません。

毛受兄弟の墓のまわりは森になっており、兄弟の苗字に因んで「毛受の森」と名付けられていました。
森は地元住民たちの手によって、きれいに整備されているようです。

毛受の森と行市山登山口

毛受の森の中を歩いていくと、立派なあずま屋と「毛受の森」と書かれた標柱がありました。
あずま屋の中には、毛受兄弟に関する説明が事細かに書かれています。

行市山登山口(毛受兄弟史跡巡り)
行市山登山口(毛受兄弟史跡巡り)

あずま屋の左側に行ってみると、行市山登山道の登り口がありました。
行市山頂上に至る道すがらには、いくつか山があって、賤ヶ岳の戦いで築かれた砦跡があるようです。

毛受史跡案内図
毛受史跡案内図(あずま屋奥)

あずま屋の中や奥には、「毛受史跡案内図」という鳥瞰図が設置されていました。
行市山には、いろいろな登山ルートがあるようなので、歩き甲斐がありそうです。

毛受兄弟の墓

毛受兄弟之墓
毛受兄弟之墓

毛受の森の一番奥には、毛受兄弟の墓がありました。
石垣の上に安置されて、さらに鉄柵で守られ、物々しい雰囲気がします。

明治9年に滋賀県県令によって建てられたそうです。

亀の親子

よく見ると墓碑の台座が亀の形をしています。
実はこれ「亀趺(きふ)」といい、江戸時代に中国から伝わったものだそうです。

中国では「贔屓(ひいき」という、重いものを好んで背負う竜を象(かたど)っているそうです。
ずん胴で甲羅があるため、日本では亀になりました。

あとがき

ようやくアジサイの花が咲く時期に全長寺に来られたのですが、残念ながら今年は早すぎたようです。
また次回に期待することにします。

その帰りに、以前から気になっていた毛受兄弟の墓を、やっとお参りできました。
そのうち賤ヶ岳の戦いで築かれた砦を訪ねて、行市山に登ってみたいと思います。

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