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【福井】敦賀市の赤レンガ倉庫から天筒山を越えて その2 (赤レンガ倉庫篇)

名所史跡めぐり
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今年(2020年)は暖冬なので、一部地域を除いて、あまり雪が積もっていません。
3月になってすこし春めいてきたので、久しぶりに福井県を訪れてみることにしました。

ところが国道8号線(敦賀バイパス)で道を間違えて、いつの間にか敦賀港のあたりへ。
とりあえず道路案内標識で気になった「敦賀赤レンガ」へ行ってみることにしました。

敦賀赤レンガ周辺の地図
敦賀赤レンガ周辺の地図

敦賀赤レンガの駐車場に自動車を停め、敦賀赤レンガに向かって歩き始めたら、「宇宙戦艦ヤマト」のブロンズ像群と国鉄の気動車「キハ28形」が展示されていたので、見て回りました。

赤レンガ倉庫とオープンガーデン

さて、国鉄の気動車の前から赤レンガの建物の横を歩いてくると、敦賀赤レンガの入り口がありました。
入り口に掲げられているカラフルな看板には、ジオラマ館レストラン館が案内されています。

敷地の中に入ると、古びた赤レンガ倉庫があって、その真中に出入り口がありました。
赤レンガ倉庫の外壁には、右から左へ「紐育スタンダード石油会社」と書かれていた痕跡が残っています。

紐育とは、アメリカの都市「ニューヨーク」の漢字表記。

赤レンガ倉庫の前のオープンガーデンを見ると、くつろげるようにイスやテーブルが並べられていました。
ただ寒い冬の時期なので、のんびりと座っている人はいません。

敦賀赤レンガ
福井県敦賀市にある赤レンガ倉庫。建設110周年を迎え、鉄道と港の「ジオラマ館」、敦賀の食を楽しむ「レスト­ラン館」として生まれ変わりました。

レストラン館を通り抜け、ジオラマ館へ

とりあえず赤レンガ倉庫の中に入ってみることにしました。
まず最初がレストラン館で通路の両側に賑やかな飲食店が並び、その奥がジオラマ館になっているようです。

敦賀赤レンガ倉庫ジオラマ館の入場券
敦賀赤レンガ倉庫ジオラマ館の入場券

レストラン館を通り抜けると自動券売機があったので、ジオラマ館の入場券を買いました。

入場券をよく見ると、ロシア語のキリル文字で「敦賀赤レンガ倉庫」と書かれているようです。
理由はよく判りませんが、敦賀は港町なので、ロシアと何らかの関係があったのかも知れません。

学生時代に NHK のロシア語講座を見ていたので、「Цуруга(ツルガ)」だけは読めます。
キリル文字はその成り立ちから、一部ギリシャ文字に似ています。

懐古的な巨大ジオラマ

さてジオラマ館の中に入ると、フロアいっぱいに敦賀港周辺のジオラマが広がっていました。
現在よりも海が近く田んぼがまだあるので、敦賀港が大規模に埋め立てられる前の風景なのでしょう。

ジオラマ館のジオラマは、実際の地図と違っており、印象的なものが寄せ集められています。
記憶の中にある懐かしの敦賀なので、「ノスタルジオラマ」なのかも知れません。

しばらく待っていると館内が暗くなって、青空が描かれたスクリーンに映像が映し出されました。
映像に合わせて、鉄道模型が線路を走り、小さな人形祭の山車(やま)が動きます。

ただあまりに巨大なジオラマなので、いろんな場所で起こる出来事をすべて見るのは無理でした。
余すことなくすべてを見るには、いろんな場所から何度もジオラマショーを見る必要があります。

欧亜国際連絡列車の終点

切符とハサミ

話は変わりますが、明治時代の日本では「新橋」発「パリ」行の切符が買えたそうです。
新橋は「日本の鉄道発祥の地」、パリはもちろんフランスの首都です。

東京・新橋から福井・敦賀までは、直通の欧亜国際連絡列車に乗り、敦賀でロシア行きの船に乗り換えます。
ロシア・ウラジオストクに着いたら、シベリア鉄道に乗ってヨーロッパに向かいました。

そのため当時の敦賀には西洋の文化が流れ込み、西洋的な近代建築が多く建てられたようです。
シルクハットの紳士やドレス姿の淑女も、まちを闊歩(かっぽ)していたのだとか。

つぎは、金崎宮に向かいます。

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