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【福井】敦賀市の赤レンガ倉庫から天筒山を越えて その3 (ランプ小屋と金崎宮篇)

名所史跡めぐり
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今年(2020年)は暖冬なので、一部地域を除いて、あまり雪が積もっていません。
3月になってすこし春めいてきたので、久しぶりに福井県を訪れてみることにしました。

ところが国道8号線(敦賀バイパス)で道を間違えて、いつの間にか敦賀港のあたりへ。
とりあえず道路案内標識で気になった「敦賀赤レンガ」へ行ってみることにしました。

敦賀赤レンガ周辺の地図
敦賀赤レンガ周辺の地図

敦賀赤レンガの敷地に入ってオープンテラスを眺めたあとは、レストラン館を通り抜け、ジオラマ館ジオラマショーを鑑賞したりパネル展示を読んだりしました。

金崎宮の参道の入り口へ

さて敦賀赤レンガ倉庫を見終わったので、つぎは金崎宮(かねがさきぐう)を参拝することにしました。
山の方を見ると、中腹に金崎宮が見えていますが、まっすぐには行けないようです。

駐車場の端にあった周辺地図を参考に、金崎宮を目指します。
すこし遠回りをすることになりましたが、金崎宮の参道の入り口に着きました。

参道の入り口には、金前寺(こんぜんじ)の本堂があります。
本堂の裏手に回ると、松尾芭蕉がここで一句詠んだことに由来する、芭蕉翁鐘塚が建てられていました。

青森県の「弘前」が「ひろさき」と読めるように、「金前」は「かねがさき」とも読めます。
金前寺というお寺の名前は、金崎宮と同様に、地名から来ていると思われます。

旧敦賀港駅ランプ小屋

金ヶ崎停車場ランプ小舎
ランプ小屋外観

芭蕉翁鐘塚から参道を横切り階段を下りてくると、旧敦賀港駅ランプ小屋があります。
屋根瓦が葺(ふ)き直され、赤レンガの目地が補修されているので、明治時代の建物のようには見えません。

当時は信号灯がまだ電化されていなかったので、たくさんの石油ランプが信号灯として用いられました。
ランプ小屋とは、それらの石油ランプを保管したり、燃料を補給したりするための施設です。

石油ランプの燃料は灯油で、当時そのほとんどはアメリカから輸入されていました。

ランプ小屋の内部は 2つの部屋に仕切られており、左側はパネル展示、右側は当時の様子を再現しています。
右側の部屋に入ってみたら、未だに灯油の臭いが残っていたので、むせてしまいました。

金ヶ崎城跡に建てられた、金崎宮

さて参道の階段を登ってくると、石の大鳥居が現れました。
大鳥居をくぐると、あたりにたくさんのベンチが置かれていましたが、参拝者の姿はありません。

奥へ歩いていくと、立派な拝殿と塀に囲まれた本殿があったので、本殿の前まで進んでお参りしました。
若い女性が多いのか、賽銭箱の横には恋みくじも置いてあります。

金ヶ崎案内鳥瞰図
金ヶ崎案内鳥瞰図

ちなみに金崎宮金ヶ崎城跡に建てられた神社で、後醍醐天皇の 2人の皇子が祀(まつ)られています。
南北朝時代には新田義貞足利軍が、戦国時代には織田信長朝倉義景が、この場所で戦いました。

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難関突破と恋の宮の金崎宮

花換まつり

花換まつりのポスター
花換まつりのポスター

金崎宮では 4月前半に、花換まつり(はなかえまつり)が執り行われます。
福娘に「花換えましょう」と声を掛け、お互いの手に持った桜の小枝を交換するのだそうです。

福娘は神様の代理なので、つまりは神様と桜の小枝を交換したということ。
返ってきた桜の小枝は、神様から授かったお守りということになります。

花見するカップル

桜の小枝は交換すればするほど、幸せが宿ると言われているので、さらにいろんな人と交換します。
そもそもは男女間で、相手へ思いを伝えるためのキッカケだったようです。

つぎは金ヶ崎城跡を歩きます。

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