今年(2020年)は暖冬なので、一部地域を除いて、あまり雪が積もっていません。
3月になってすこし春めいてきたので、久しぶりに福井県を訪れてみることにしました。
ところが国道8号線(敦賀バイパス)で道を間違えて、いつの間にか敦賀港のあたりへ。
とりあえず道路案内標識で気になった「敦賀赤レンガ」へ行ってみることにしました。

金崎宮から花換の小道を通って、鴎ヶ崎の広場を訪れたあとは、金ヶ崎城跡の一郭にある尊良親王御陵墓見込地で金ヶ崎城の遺構を探しました。
見どころ盛りだくさんの展海広場
つぎは月見御殿へ 月見御殿まで徒歩 3分 分岐点(左)展海広場(右)天筒広場
尊良親王御陵墓見込地からは、さらに坂道を登っていきました。
山道は曲がりくねっていますが、勾配があまり急ではないので、あまり辛くはありません。
しばらく登っていると、尾根筋の分岐点に着きました。
まずは左に曲がって、月見御殿跡もある展海広場を見に行くことにします。
展海広場(左)、金碕古戦場石碑、古墳 展海広場(右)、あずま屋とベンチ
展海広場は、南北朝時代の金ヶ崎城の本丸だった平地を再利用して、整備されました。
あたりには「金碕古戦場」と刻まれた石碑と古墳があり、あずま屋やベンチで休憩もできます。
岩が点在する、月見御殿跡
月見御殿跡(左) 月見御殿跡(右) 月見御殿阯の石碑
展海広場を奥へ進むと、あたり一帯に岩が転がる月見御殿跡がありました。
このあたりが金ヶ崎の中で一番高い場所(海抜 86メートル)となっています。
月見御殿跡から(左) 月見御殿跡から(中)、火力発電所 月見御殿跡から(右)、火力発電所
展望台からは敦賀湾の景色を望めますが、右側に北陸電力の敦賀火力発電所が見えるので、すこし興ざめです。
ただ普段は火力発電所を、滅多に上からなど見られないので、よく眺めておきました。

ちなみに皇太子時代の大正天皇が、鴎ヶ崎に続いて月見御殿跡にも立ち寄っています。
当時の敦賀湾は、さぞかし美しい景色だったことでしょう。
近くに水場があった、三の木戸跡
分岐点(奥)天筒展望広場 尾根筋の横に曲輪跡 三の木戸跡(木の陰に案内板)
ということで、つぎは尾根筋を歩いて天筒展望広場を目指します。
尾根筋沿いには、金ヶ崎城の曲輪跡と思われる平らな場所が、処どころで見受けられました。
さて丸太の階段を下りてくると、三の木戸跡という場所がありました。
もともとは堀切になっていたようですが、現在は埋められて、平坦な道に様変わりしています。

ちなみにこのあたりには、かつて湧き水があったことから、「水の手」と呼ばれているそうです。
当時その湧き水は、金ヶ崎城における貴重な用水として用いられていました。
朝倉軍の兵糧庫があった、焼米出土地
焼米出土地付近(左) 焼米出土地付近(中) 焼米出土地付近(右)
三の木戸跡から階段を登ってくると、左側にあずま屋があって、右側がちょっとした高台になっていました。
いかにも曲輪跡のように見えるので、ちょっと見に行くことに。

すると、「焼米出土地」と刻まれた小さな石碑がありました。
あたり一帯は笹ですっかり覆われていますが、金ヶ崎城の曲輪跡で間違いなさそうです。
かつてこの場所には、合戦中における朝倉軍の食料を確保するため、兵糧庫が建てられていました。
織田信長軍に攻められて兵糧庫は焼け落ち、のちに土の中から炭になった米(焼米)が見つかったそうです。
さらに天筒展望広場を目指します。
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