滋賀県長浜市野瀬町(ながはまし のせちょう)には、大吉寺(だいきちじ)があります。
以前、五先賢の館を訪れたとき、設置されていた地図でその存在を知りました。
前回は道幅が狭くて諦めて帰ったのですが、意を決して大吉寺と旧大吉寺跡を訪れてきました。
行こうか戻ろうか迷ったのですが、ついでに天吉寺山頂上にも登っています。

大吉寺の境内を巡って、本堂裏手の登山口まで来ました。
仁王門跡と古びた手水鉢


さて大吉寺本堂裏手の登山口からは、天吉寺跡(旧大吉寺跡)を目指して、谷川沿いを登っていきました。
しばらくすると、すれ違うのも難しそうな、険しいつづら折りへ入っていきます。


かつての堂宇跡前を通り過ぎ、さらにひたすら登っていくと、ようやく仁王門跡にたどり着きました。
ちょっとした平坦地ではあるものの、残念ながら礎石らしきものは見当たりません。


仁王門跡から坂道をしばらく進んだあと、急勾配の斜面を登っていくと、古びた手水鉢がありました。
どこからか水が湧いているようで、あたりはけっこう泥濘(ぬかる)んでいます。
近江国輿地志略. 下(巻49至100) のコマ番号:141/241
国立国会図書館デジタルコレクションより
三重塔跡と鐘楼跡と本堂跡


手水鉢からは案内板を探しながら、草むらをかき分け通り抜けると、三重塔跡に着きました。
こちらは仁王門跡と違って、四角く等間隔に礎石が遺(のこ)っています。
三重塔を直進すると、閼伽池と元池へ行けます。


三重塔で直角に左へ曲がると、角張った石が方形に並べられた鐘楼跡がありました。
理由は判りませんが、なぜか真ん中に五輪塔が置かれています。


まばらになった石段を登ったところには、天吉寺本堂跡が広がっていました。
基壇の上には礎石が並べられているそうですが、シダ植物に覆われているため確認は難しそうです。
経堂跡と伝頼朝供養塔

天吉寺本堂跡前から左へ進んだところには、経堂跡がありました。
大吉寺中興の祖である覚道上人が、唐から一切経を持ち帰ったそうなので、納められていたのでしょう。

すぐ近くには、源頼朝(みなもと の よりとも)を供養したものと伝わる、頼朝供養塔がありました。
落馬して亡くなったのは相模国なので、遠く聞き及んで建てたのでしょう。

源頼朝は、平治の乱で父源義朝が平清盛に敗れ、累が及ぶのを避けるため天吉寺に難を逃れたのだとか。
結局、伊豆に流されてしまいますが、のちに天吉寺の堂宇を再建したそうです。
閼伽池と元池と覚道上人入洞窟


さて頼朝供養塔から踏み跡をたどりながら、斜面を下ってくると、閼伽池(あかいけ)に着きました。
池の底がすこし泥濘(ぬかる)んでいるので、すっかり涸(か)れた訳ではなさそうです。
閼伽とは、供え物という意味だが、特に仏前に供える神聖な水を指す。


閼伽池の上流にある元池を通って山に登ろうとすると、通行止めになっていました。
仕方がないので、閼伽池の一段上まで来た道を戻ってみることに。


見つけたピンク色リボンを頼りに登っていくと、程なく覚道上人入定窟にたどり着きました。
中には石造りの覚道上人坐像が安置されているそうです。
入定とは、高僧が死ぬこと。入定窟とは、高僧のお墓のこと。
さらに、天吉寺山を登っていきます。
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