以前、福井県南条郡南越前町(なんじょうぐん みなみえちぜんちょう)の今庄宿を訪れたとき、今庄駅の前に設置されていた看板を参考にして、今庄宿の中を散策しました。
その看板には、すぐ近くの藤倉山(ふじくらやま)と鍋倉山(なべくらやま)がハイキングコースになっていて、その途中には燧ヶ城址(ひうちがじょうし)があることも載っていました。
燧ヶ城址のことがずっと気になっていたので、久しぶりに今庄宿を訪れて、見に行ってきました。
ただあまりにも早く燧ヶ城址に着いたので、ついでに藤倉山と鍋倉山にも登ってきました。


今庄駅の駐車場へ
今庄宿へは北陸自動車道を今庄インターチェンジで降りて、国道365号線を敦賀方面に南下します。
交差点「今庄駅入り口」で西へ右折して、跨線橋を渡り下ってくると、JR北陸本線の今庄駅があります。

今庄駅の両側には JR北陸本線に沿って、うなぎの寝床のような駐車場があります。
今庄駅の利用者だけではなく、今庄宿周辺の観光客にも開放されているようなので、そこに停めました。

跨線橋から下りてくる道路を横断したところには、藤倉山・鍋倉山ハイキングコースの案内板があります。
まずは燧ヶ城址のある愛宕山(あたごやま)に登るため、観音堂を目指すことにしました。
観音堂・燧ヶ城址・藤倉山登り口へ
今庄駅から西の方へ緩やかな坂道を上っていくと、今庄宿の中を通る旧北国街道に出ました。
交差点で南の方へ左折して、処どころに今なお古民家が残る町並みの中を歩いていきます。

すると程なく、観音堂・燧ヶ城址・藤倉山の登り口に着きました。
道路の南側には、燧ヶ城址の歴史について説明した大きな案内板があります。
燧ヶ城は平家物語や源平盛衰記、太平記にも登場する有名な城だそうです。
「北陸道第一の城郭なり」と言われ、数世紀に渡って戦略上の重要な拠点として利用されてきました。

なお現在の燧ヶ城址は、憩いの広場やハイキングコースとして、町民に親しまれているそうです。
平家物語とは、平家の栄枯盛衰や武士の台頭などが描かれた軍記物のこと。
源平盛衰記とは、平家物語の異本の一つ。記事内容が詳細豊富なので歴史書として重視される。
太平記は、後醍醐天皇の即位から約50年ほど、おもに南北朝時代を描いた軍記物のこと。
観音堂を通って登山道へ



燧ヶ城址の案内板の前から歩き始めると、奥に観音堂の建物が見えてきました。
ちなみに舗装路を道なりに左へ曲がると、新羅神社の境内に入れます。

さて観音堂の建っているところまで石段を上って、左を見ると登山道がありました。
このあたりはカタクリの群生地のようで、案内板が出ています。

ちなみにカタクリの花が咲くのは春のようです。
ただ地域によって花の見ごろは違うようで、3月から 6月までさまざまなのだとか。
いざ燧ヶ城址へ


ということで、いよいよ燧ヶ城址に向けて、本格的な登山道が始まりました。
秋になったので、地面の上には大量の枯れ葉が落ちています。

5分ほど歩いていると、分かれ道に差し掛かりました。
燧ヶ城址までは意外に近いようで、順調に歩いていけば残すところ 14分で着くようです。

さらに 10分ほど山道を登ってくると、稲荷神社への分岐点に差し掛かりました。
燧ヶ城址までは残すところ、3分になりました。
さらに愛宕山を登っていきます。
コメント