岐阜県本巣市(もとすし)には、船来山(ふなきやま、舟木山とも)があります。
西側ふもとには道の駅「富有柿の里いとぬき」があるので、知らないうちに近くまで来ていました。
船来山は至るところに古墳が点在しており、発掘調査によって豪華な副葬品が出土したそうです。
またかつては、土岐氏の拠点となった莚田の砦が築かれていたのだとか。
ということで、船来山の尾根筋を縦断してきました。
私有地につき立入禁止となっている場所があるので、登り口を探すのにひと苦労します。

富有柿の里の駐車場へ
まずは富有柿の里へ向かいました。
国道157号線(淡墨街道)の交差点「富有柿の里」で東へ入ると、すぐに駐車場があります。

船来山は古墳群を全面に押し出しているようで、至るところに解説板が設置されていました。
出土した副葬品の数かずは(6)古墳と柿の館に展示されているそうです。

ちなみに道路をはさんで西側には、道の駅「富有柿の里いとぬき」があります。
過去に何度かお土産を買いに立ち寄りました。
船来山遊歩道を登って
船来山遊歩道へ 赤い橋の架かる広場
ということで、船来山遊歩道へ向かいました。
富有柿センターの前を素通りして一旦、道路に出たあとは、ふたたび山の方へ入っていきます。
船来山遊歩道登り口 船来山橋を渡って
赤い橋の下をくぐって奥へ進むと、船来山遊歩道の登り口がありました。
遊歩道を歩き始めるとすぐに赤い橋があったので、その上を歩いて尾根の反対側へ渡ります。
急勾配の丸太階段 尾根の上のあずま屋
橋を渡り終わったら、続いて急勾配の丸太階段を登っていきました。
丸太階段を登り切るとあずま屋がありますが、柱が何だか細いので休憩せず早々に立ち去ります。
舂稲神社奥の院
古墳の上の舂稲神社(左) 古墳の上の舂稲神社(右)
さて船来山遊歩道を歩いていると、丘の上の玉垣の中に屋根と柱だけの建物が現れました。
藤原(右大弁)通俊(ふじわら の みちとし)の和歌が刻まれた石碑もあります。

建物の表側へ回ってみると、石柱に舂稲神社奥の院(つきしね じんじゃ おくのいん)と刻まれていました。
ここは席田君迩近(むしろだきみじこん)の墓である、との伝承があるそうです。
席田君迩近とは、奈良初期にこのあたりに席田郡(むしろだ ぐん)を置いて治めていた人です。
席田君迩近は古墳時代の人ではありませんが、となりの円墳と合わせたら何だか前方後円墳に見えてきました。
現在も氏子によって、「おいわ様」とよばれるご神体をお祀(まつ)りしているそうです。
新撰美濃志のコマ番号:212/446
国立国会図書館デジタルコレクションより
遊歩道以外は立入禁止
舂稲神社奥の院から東へ 長い丸太階段
舂稲神社奥の院からは、なだらかな舟来山遊歩道を歩いていきました。
しばらくすると目の前に長い丸太階段が現れます。

丸太階段を登りきった先にはあずま屋があって、ブロック塀をはさんで古墳がありました。
ブロック塀の端からは歩いた跡が、古墳を回り込んで奥へ続いています。

ところがブロック塀の端まで行くと、そこから先は立入禁止になっていました。
仕方がないので他の登り口を探すため、船来山を一旦下りることにします。
さらに船来山登り口を探し歩きます。
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