以前まだ外国からの観光客がそれほど多くなかったころ、JR京都駅からバスに乗って東山まで行き、あたりを歩いてきました。
自動車に乗って京都へ行くと、たまに東山のあたりを通るのですが、駐車場が判らずに引き返すことが多かったので、市バスを使って訪れています。
銀閣寺の庭園の中を歩いて、まずは銀閣(観音殿)と 2つの大きな盛り砂を見ました。

銀閣寺の庭園を散策
では順路にしたがって、銀閣寺の庭園の中を散策します。
まずは本堂の南にある「銀沙灘(ぎんしゃだん)」の東側の通路を南に向かって歩きました。
となりの池の中には座禅石と白鶴島があって、東西から 2本の橋が白鶴島へ架かっています。
しかし通行止めになっていたので、白鶴島へ渡ることはできません。
そのまま直進して池に架かる橋を渡ったら、丁字路で左に曲がって池の縁を進みました。
順路の矢印に指示されるまま歩いていくと、道は次第に山の上へと上がっていきます。
東山の山道を歩く
山道はところどころ枝分かれしていますが、迷路のように複雑ではありません。
たとえ行き止まりになっていたとしても、引き返せば良いだけです。
また急な坂道は石段になっているので、地面が濡れていても登りやすくなっています。
山の斜面に作られた道なので結構、登らなければなりません。
ただ、ところどころで立ち止まって風景を見、また登っていくと苦になりませんでした。
一番上の平坦な山道からは、銀閣寺の建物群を俯瞰(ふかん)で見下ろせます。
普段めったに見られない景色なので、見られて良かったです。
銀閣を見る角度にこだわって
山から下りてくると、いよいよ写真などでよく見る角度からの銀閣(観音殿)と対面です。
池のほとりを歩いていくと池の向こう側に、お目当ての銀閣が現れました。
歴史の教科書でよく見てきた、銀閣の佇まいを間近で見られて、とても感慨深かったです。
なお道はさらに奥へと続いていて、銀閣の裏手に伸びています。
ただ建物へと通じる道は閉鎖されているので、建物の中は拝観できなくなっていました。
慈照寺が銀閣寺と呼ばれた訳
以前 NHK の「ブラタモリ」を見ていたら、研究者の方が次のような話をされていました。
そもそも慈照寺が建てられた室町時代には、建物表面に漆が塗られていて黒かったそうです。
ところが江戸時代になると経年変化により、その漆が白くなってしまったようです。
白いところに太陽光が当たると、光が反射して光って見えます。
それを見た人が銀箔が貼ってあると勘違いして、「銀閣寺」と名付けたらしいです。
慈照寺側も参拝客が欲しかったので、「銀閣寺」という格好いい名前を否定しませんでした。
そのまま「銀閣寺」という名前が、根付いてしまったようです。
売店の前を通って出口へ
さて銀閣の裏手から竹林を抜けていくと、開けた場所に出ます。
その日はなぜか売店が閉まっていたので、すこし休憩するためベンチに腰を下ろしました。
金閣寺には何度か行ったことがあるのですが、銀閣寺は今回がはじめての参拝です。
銀閣寺は有名ですが、人気のある観光地だとは思っていなかったので、たいへん驚きました。
やっぱりボクは人気(ひとけ)のないお寺を、ゆったり見て回るのが好きですね。
一息ついたところでベンチから立ち上がり、銀閣寺の出口へ向かいました。
つぎは「哲学の道」を歩いて南禅寺へ向かいます。

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