行市山(ぎょういちやま)は、滋賀県長浜市余呉町(ながはまし よごちょう)と福井県敦賀市奥麻生(つるがし おくあそう)にまたがる山です。
今回は、余呉町新堂(よごちょう しんどう)の毛受(めんじゅ)兄弟の墓から、行市山へ登ってみました。
倉坂峠(刀根越)からの道と違って、山頂までの距離が書かれているので、とても判りやすかったです。

毛受の森の前にある広場に自動車を停めて、毛受史跡案内図で行市山登山ルートを確認したあとは、登山口から橡谷山頂上近くの分岐点にある行市山・別所山・林谷山 史跡案内図の前まで登ってきました。
林谷山砦跡への道
案内板「林谷山砦跡 300m」 橡谷山頂上を越えて
ということで、橡谷山頂上近くの分岐点からは一旦、林谷山砦跡へ寄り道します。
道のりは 往復で 600メートルもあって、ちょっと遠いですが行ってみることに。
林谷山砦跡に向かって歩き始めると、すぐに橡谷山だと思われる丘を越えます。
たぶん「くぬぎだにやま」と読むのでしょうが、なんとも発音しにくい山の名前です。
「クヌギ」の古称は「ツルバミ」なので、「つるばみだにやま」と読むのかも知れません。
なお「くぬぎ」と読む漢字には「櫟」「橡」「椚」「櫪」「椢」などがあります。
林谷山への下り坂 雑木林の奥に林谷山砦跡
橡谷山を越えると、なだらかな下り坂がしばらく続きます。
下り坂が終わって、ふたたび緩やかな上り坂を歩いていくと林谷山砦跡が現れました。
林谷山砦の主郭跡
林谷山砦土塁跡(左) 林谷山砦土塁跡(中) 林谷山砦土塁跡(右)
林谷山砦跡で最初に見えるのは、尾根の端から端まで一直線に連なる土塁跡です。
本来はもっと高かったはずですが、長い年月の間に、簡単に越えられるほど低くなってしまいました。
その手前には、薄っすらと堀切の跡が見て取れます。
土塁の土砂が流れ込み、そのほとんどが埋まってしまったと思われます。

土塁跡を越えて林谷山砦跡の中に入ると、林谷山頂上を示す赤い札ありました。
たぶんここが主郭跡で、砦の中心なのでしょう。
ちなみにこの場所には、毛受兄弟(めんじゅ きょうだい)と徳山五兵衛則秀(とくやま ごへえ のりひで、法名:二位法印秀現)が陣取っていたようです。
土塁を越えて、林谷山砦跡の奥へ
主郭跡奥の土塁を越えて 奥へと続く長い曲輪跡
林谷山主郭跡の奥にも何かありそうなので、さらに奥の土塁跡を越えて見に行きました。
最初に越えた土塁に比べると、あまり人が越えないようで、すこし高くなっています。
主郭跡の奥は細長い曲輪跡のようで、平らな場所が奥の方へと続いていました。
曲輪跡の右側(賤ヶ岳方面)には、長い土塁跡も続いています。
井戸跡のような窪地 曲輪跡はこの先で荒れ放題に
曲輪跡を歩いていると、すっかり埋まっていますが、すこし角張った井戸跡のような窪地も見付けました。
なお井戸跡から先は、程なく荒れ放題になるようなので戻ることにしました。
尾根筋のすこし下に、橡谷山砦跡

ということで、ふたたび橡谷山頂上付近の分岐点まで戻ってきました。
ここからは急斜面を下りて、橡谷山砦跡ともよばれる金森長近砦跡を見に行くことにします。
金森長近砦跡(左) 金森長近砦跡(中) 金森長近砦跡(右)
さて金森長近砦跡に下りてみましたが、あたりは低木に覆われてしまい、地面の様子はよく見えません。
どの低木も神事に用いるサカキのようなので、あとで使うために残してあるのでしょうね。

金森長近砦跡の真ん中には「橡谷山 金森五郎八長近の砦」と書かれていたであろう標柱が、倒れていました。
尾根筋より低くなった場所なので、雨水などが流れてきて朽ちてしまったようです。
さらに行市山登山ルートを登っていきます。
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