【滋賀】長浜市余呉町の毛受兄弟の墓から行市山へ その2 (林谷山砦跡と橡谷山砦跡篇)

城郭めぐり
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行市山(ぎょういちやま)は、滋賀県長浜市余呉町(ながはまし よごちょう)と福井県敦賀市奥麻生(つるがし おくあそう)にまたがる山です。

今回は、余呉町新堂(よごちょう しんどう)の毛受(めんじゅ)兄弟の墓から、行市山へ登ってみました。
倉坂峠(刀根越)からの道と違って、山頂までの距離が書かれているので、とても判りやすかったです。

行市山・別所山・橡谷山 史跡案内図
行市山・別所山・橡谷山 史跡案内図

毛受の森の前にある広場に自動車を停めて、毛受史跡案内図行市山登山ルートを確認したあとは、登山口から橡谷山頂上近くの分岐点にある行市山・別所山・林谷山 史跡案内図の前まで登ってきました。

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林谷山砦跡への道

ということで、橡谷山頂上近くの分岐点からは一旦、林谷山砦跡へ寄り道します。
道のりは 往復で 600メートルもあって、ちょっと遠いですが行ってみることに。

林谷山砦跡に向かって歩き始めると、すぐに橡谷山だと思われる丘を越えます。
たぶん「くぬぎだにやま」と読むのでしょうが、なんとも発音しにくい山の名前です。

「クヌギ」の古称は「ツルバミ」なので、「つるばみだにやま」と読むのかも知れません。
なお「くぬぎ」と読む漢字には「櫟」「橡」「椚」「櫪」「椢」などがあります。

橡谷山を越えると、なだらかな下り坂がしばらく続きます。
下り坂が終わって、ふたたび緩やかな上り坂を歩いていくと林谷山砦跡が現れました。

林谷山砦の主郭跡

林谷山砦跡で最初に見えるのは、尾根の端から端まで一直線に連なる土塁跡です。
本来はもっと高かったはずですが、長い年月の間に、簡単に越えられるほど低くなってしまいました。

その手前には、薄っすらと堀切の跡が見て取れます。
土塁の土砂が流れ込み、そのほとんどが埋まってしまったと思われます。

林谷山砦跡
林谷山砦跡

土塁跡を越えて林谷山砦跡の中に入ると、林谷山頂上を示す赤い札ありました。
たぶんここが主郭跡で、砦の中心なのでしょう。

ちなみにこの場所には、毛受兄弟(めんじゅ きょうだい)と徳山五兵衛則秀(とくやま ごへえ のりひで、法名:二位法印秀現)が陣取っていたようです。

土塁を越えて、林谷山砦跡の奥へ

林谷山主郭跡の奥にも何かありそうなので、さらに奥の土塁跡を越えて見に行きました。
最初に越えた土塁に比べると、あまり人が越えないようで、すこし高くなっています。

主郭跡の奥は細長い曲輪跡のようで、平らな場所が奥の方へと続いていました。
曲輪跡の右側(賤ヶ岳方面)には、長い土塁跡も続いています。

曲輪跡を歩いていると、すっかり埋まっていますが、すこし角張った井戸跡のような窪地も見付けました。
なお井戸跡から先は、程なく荒れ放題になるようなので戻ることにしました。

尾根筋のすこし下に、橡谷山砦跡

眼下に金森長近砦跡
眼下に金森長近砦跡

ということで、ふたたび橡谷山頂上付近の分岐点まで戻ってきました。
ここからは急斜面を下りて、橡谷山砦跡ともよばれる金森長近砦跡を見に行くことにします。

さて金森長近砦跡に下りてみましたが、あたりは低木に覆われてしまい、地面の様子はよく見えません。
どの低木も神事に用いるサカキのようなので、あとで使うために残してあるのでしょうね。

朽ちた金森長近砦の標柱

金森長近砦跡の真ん中には「橡谷山 金森五郎八長近の砦」と書かれていたであろう標柱が、倒れていました。
尾根筋より低くなった場所なので、雨水などが流れてきて朽ちてしまったようです。

さらに行市山登山ルートを登っていきます。

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