いろんなお寺を巡っていると、由緒書などに「このお寺は行基(ぎょうき)というお坊さんが建てました」というようなことが、書かれていることがあります。
行基といえば、奈良の東大寺大仏殿にある大仏を建立したことで有名です。
しかし、それ以前にも多くの寺院などを建て、溜池、堀や溝、橋なども造りました。
そんな行基の名前がついているお寺「臥龍山 行基寺」が、以前からとても気になります。
ということで、多度大社からの帰りにちょっと立ち寄ってきました。

国道258号線から行基寺へ
今回は、たまたま最初に看板を見つけた、交差点「上野河戸」から南に入ることに。
覚法寺の横を通り、そのままさらに山道を登って、行基寺まで進みました。
道路の幅がかなり狭い上に、状態もあまり良くありません。
大きめの枝などが落ちたままになっていたりして、結構進むのが大変でした。
通常は、もう一本西側の道路を Z字に登っていくのが、正解だったかも知れません。
次回行くときには、そちらの道を通ってみることにします。
行基寺の駐車場からの眺め

行基寺の駐車場から濃尾平野
さて山道を登っていくと、行基寺の石垣とその上に建つ黒い塀が見えてきます。
しかし駐車場はさらに進んだ先にあるようなので、黒塀の前を通り過ぎていきました。
行基寺の駐車場は見晴らしが良く、むかし臥龍山にあったという石灯籠が再建されています。
眼下には、濃尾平野を流れる津屋川と揖斐川が見えました。

行基寺の石垣の上の黒塀
では石垣と黒塀に沿って歩き、行基寺の入り口まですこし戻ります。
行基寺の境内は石垣の上にあり、その周りを黒い塀に囲まれているようでした。
楼門には「三つ葉葵」の家紋

行基寺の楼門
行基寺の楼門には、よく見ると徳川家・松平家の家紋である「三つ葉葵」が彫られています。
徳川家康のひ孫にあたる松平義行が、美濃高須藩の領主になったとき、このお寺が松平家の菩提寺になったからです。
山の上のあまり人気(ひとけ)のないお寺なのに、こんなに立派な建物群が建っているのは、松平家が莫大な寄進をしたからなのですね。
行基寺の境内を散策
行基寺の楼門をくぐると、境内には様々な木が植えられており、その中を散策できるように石畳が敷かれています。
冬なので葉が落ちてしまい、あまり華やかさはありませんが、そこはかとない趣があります。
軽く雪が降ったあとであれば、さぞや美しい雪景色が楽しめることでしょう。
ただ猛烈な寒波が来るようなので、そんな景色を楽しんでいる余裕はないかも知れません。
雪が降った後の山道は、登りも下りも滑るので大変でしょうから。
庭園の拝観は年末なので休止

行基寺の受付
さて行基寺の受付まで来ました。
しかしカーテンが閉められ、窓ガラスには参拝者への手紙が貼られていました。
残念ながら年末は、大掃除をするためでしょうか、庭園の拝観は出来ないとのことです。
年が明ければ、再び拝観できるようなので、初詣でなどで訪れるといいかも知れません。
なお庭園を拝観するときに、別途料金を支払えば抹茶を飲めるそうです。
庭園を見ながら一服するというのも風流ではありませんか。
あとがき

行基寺の楼門(脇)
行基寺に年末に訪れるのは、どうやら失敗だったようです。
次回は、新緑の季節または紅葉の季節に、庭園と抹茶を楽しむために来ることにします。
そのときも今回のように、あまり混雑していなければいいのですけどね。
ちなみに行基寺は、行基が82歳のときに亡くなった場所であると伝えられています。
行基の菩提寺であることから、行基寺と名付けられています。
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