福井県南条郡南越前町には、鉢伏山(はちぶせやま)があります。
杣山城の駐車場で無料配布されていたリーフレット「MINAKOI」に、初級の山として載っていました。
ということで、鉢伏山に登ってきました。
以前から気になっていた、旧北陸道の木ノ芽峠にも訪れています。

言奈地蔵下の駐車場から、西光寺丸城跡へ行ったあとは、木ノ芽城跡を通って、木ノ芽峠まで来ました。
木ノ芽峠の旧茶屋番と湧水


さて木ノ芽峠であたりを見回すと、峠の茶屋らしき建物(旧茶屋番)がありました。
茅葺屋根の古民家ですが、薪が大量に積まれているので、生活している方がいらっしゃるようです。
木ノ芽城主郭跡へは、峠の茶屋の住人の許可を得ないと、正規ルートで登れないかも知れません。
かつての木ノ芽峠は行き交う人や馬が多く、越前国と近江国をつなぐ北陸道の要衝だったのだとか。
曹洞宗の開祖 道元禅師も病気療養のため、福井県の永平寺からふるさと京都へ向かうときに通ったそうです。


ちなみに木ノ芽峠から新保集落の方へすこし下ったところには、弘法大師お手掘りの湧水がありました。
明治天皇も、明治11年に北陸を旅行されたとき、ここの湧き水を飲まれたようです。
草ぼうぼうの観音丸城跡


木ノ芽峠からは低い石段を登って、さらに鉢伏山を登っていきました。
途中には観音寺丸城跡の説明板らしきものがあったのですが、のっぺら坊状態で何も書かれていません。
さらにすこし登っていくと、右へ伸びる堀切跡の手前に観音寺丸城跡の標柱が倒れていました。
雪深い北陸地方なので、押し倒されてしまったのかも知れません。


折角なので、草木をかき分けながら土塁跡を乗り越えて、観音寺丸城跡を見に行ってみました。
残念ながら曲輪跡の中は草ぼうぼうになっています。
スキー場を登って鉢伏山頂上へ


さて観音寺丸城跡から、クランクしながら二重堀切跡のあいだを登っていくと、広い原っぱに出ました。
曲輪跡のようですが何も説明板はないので、さらに鉢伏城跡を目指して登っていきます。


途中からは、スキー場のゲレンデの中に通された、意外に急勾配の作業道を登っていきました。
大きな建物の横を通り過ぎて、ようやくリフト降り場にたどり着きます。


さらに轍(わだち)をたどって行くと、鉢伏城跡虎口に差し掛かりました。
そもそもは越前国朝倉氏によって築かれた山城のようですが、一向一揆の集団も立てこもったそうです。
一向一揆とは、一向宗の信者たちが、支配勢力に対抗し、武装して立ち上がったこと。
鉢伏山頂上の鉢伏城跡


ということで高い土塁跡に囲まれた虎口を通り抜け、だだっ広い鉢伏城跡の中へ入っていきました。
鉢伏山の尾根伝いに築かれた木ノ芽城塞群の中では、群を抜いて広いそうです。


左(南)側の土塁跡に鉢伏城跡の標柱を見に行くと、同じく土塁跡の上に鉢伏山三角点がありました。
まわりの木を見回してみましたが、鉢伏山の山名板はここ以外になさそうです。


なお西側の鉢伏山展望台まで進むと、雄大な景色が広がっていました。
左側には敦賀市街が、敦賀湾を隔てて向かい側には大きな敦賀半島が見えています。
鉢伏城跡出城跡は、道中が草むらで目印や踏み跡もなかったので、見に行くのを諦めました。
つぎは鉢伏山から下山します。
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