滋賀県米原市梓河内(まいばらし あんさかわち)には、八講師城跡(はっこうじ じょうあと)があります。
以前、同市柏原の長比城跡(たけくらべ じょうあと)に登ったら、展望台に名前があり気になっていました。
調べてみると八講師城跡のすぐ近くまで、自動車で林道を登っていけるようです。
米原市のホームページに、トレッキングマップが配布されていますが、今回は手ぶらで歩いてきました。

八講師城跡の曲輪-Ⅱから、北の曲輪群を先端まで往復したあとは、曲輪-Ⅱから主郭へ移動して、土塁の上から景色を眺めました。
南の曲輪群は、途中で行き止まり?

八講師城跡の主郭の土塁からは、眼下にある南の曲輪群を見に行くことにしました。
斜面がすこし急勾配ですが、気を付けながら下りていきます。
南の曲輪群の始まり 曲輪の前方にヤブ
ということで、南の曲輪群の北端に着きました。
年月を経て、ただの尾根筋のようにしか見えませんが、堀切跡も処どころに見られます。
ところが奥(南)へ進んでいくと、樹木が鬱蒼(うっそう)と生い茂り、深いヤブになっていました。
南の曲輪群は、この先も続いていそうなので、道を探すことに。
帯曲輪を通って、南の曲輪群の先へ
南の曲輪群の先へ 倒木の向こうに帯曲輪
すると尾根筋の左(東)側に、倒木で塞(ふさ)がれた道がありました。
一見すると、通り抜けられそうにないので、行こうか戻ろうか躊躇(ためら)ってしまいます。
ところが試しに行ってみると、倒木の根本の方にすき間があって、帯曲輪まで出られました。
帯曲輪は日かげになっているせいか、下草があまり生えていません。
帯曲輪を通って ふたたび尾根筋へ
ということで、奥へと続く帯曲輪を通って、南の曲輪群をさらに進みました。
ただ残念ながらこの先にもヤブがあり、結局は来た道を引き返すことになるのです。
急勾配の細道を下って、西の曲輪群へ

南の曲輪群から戻ってきたら、今度は西の曲輪群を歩いてみることに。
まずは岩場を避けながら急勾配の細道を通って、尾根筋を下の方へ下りていきました。
薄っすらと堀切跡 緩やかに段々を下って
尾根筋の勾配が緩やかになると、薄っすらと堀切跡がありました。
ほとんど埋まっているので判りにくいのですが、当時はさぞかし深い空堀だったことでしょう。
見張り台?への道 見張り台?からの眺め
さらにすこし下っていくと尾根筋の左(南)側に、小さな見張り台跡のような場所もありました。
ただ現在は樹木が生い茂っているため、見晴らしは良くありません。
西の曲輪群の先端へ
大岩のある曲輪 真ん中に斜めの土橋 真ん中が窪んだ曲輪
大岩のある曲輪を通り過ぎると、真ん中に斜めに下りていく土橋を設けて隣の曲輪とつなげている場所や、真ん中を窪ませて両側に通り道を設けている場所がありました。
ワンパターンにしないことで、敵兵を戸惑わせる効果があるのだと思われます。
西の曲輪群の先へ 急勾配で曲がった細道 急勾配の斜面
さてこのあたりで西の曲輪群は終わりのようですが、さらにすこしだけ下りてみることに。
歩いた跡があるので、このまま下りていけば、今回登ってきた林道までたどり着けそうです。
ただ道が急勾配になってきたので、諦めて来た道を戻ってしまいました。
あとがき
八講師城跡のことはこれまで、ほとんど知りませんでした。
有名ではないので、こぢんまりした山城跡なのかと思っていたのですけどね。
いざ歩いてみたら、かなり広大な山城跡で、歩きごたえが十分あって驚きでした。
惜しむらくは、山中にハイキングコースが整備されていないので、自動車でしか来られないことです。
一応トレッキングコースはありますが、舗装された林道なので、好みが分かれるでしょう。
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