愛知県犬山市(いぬやまし)に「博物館明治村」という場所があります。
ただ、あまりよく知らなかったので、実際に「博物館明治村」に行って、どんなところなのか、確かめてきました。
丘の上に建っている旧内閣文庫と旧川崎銀行本店を見て、階段でふもとに下り、旧隅田川新大橋を渡ってきました。

天童眼鏡橋という石造り二連アーチ橋
旧隅田川新大橋からそのまま南に進み、入鹿池の隅っこの池のほとりを歩きました。
池の対岸の方を見ると、そこには天童眼鏡橋という名前の石造り二連アーチ橋が見えました。
名前のとおり、将棋の駒で有名な山形県天童市(てんどうし)から、移築された橋です。
二連のアーチが水面に写ると、眼鏡のように見えるので、眼鏡橋と呼ばれています。
ちなみに、石造り二連アーチ橋として有名な日本の橋は、皇居の「正門石橋(地図)」です。
たまに、奥に見える「正門鉄橋(二重橋)」と、併せて二重橋だと紹介されることもありますが、それは間違っているようです。
思い出すのが、長崎めがね橋
ただボクの中で眼鏡橋といえば、長崎県長崎市の中島川に架かる、眼鏡橋です。
小学校の給食の時間に、放送委員の人が学校に備え付けのレコードで、曲を流していたのですが、なぜかよく「長崎めがね橋」を掛けていましたので、耳に残ってしまいました。
未だ長崎には行ったことがなく、テレビでしか眼鏡橋の姿を見たことが無いのですけどね。
今でもたまに、「長崎めがね橋」のサビの部分を思い出すことがあります。
ながさーき、ながさーき、めがねーばーしー(長崎めがね橋より引用)
ちなみに作詞は、アンパンマンの作者のやなせたかしさんだそうです。
聖ザビエル天主堂は、結婚式場にも
さて、池のほとりを歩き終わると、丘の上に見えてくるのが、聖ザビエル天主堂です。
聖ザビエル天主堂を目指して、なだらかな坂道を登っていきました。
坂道を登り終え、聖ザビエル天主堂の中を拝観しようと、入り口まで近づいたのですが、スーツ姿の女性が入り口付近で慌ただしく仕事をしています。
何とその時間、聖ザビエル天主堂は貸し切りになっていて、結婚式の準備の真っ最中でした。
仕方がないので、階段を下りて次を見に行くことにしました。
芝居小屋、呉服座
階段を下りてまず目に付いたのは、大きな看板と出し物の絵が掲げられた、芝居小屋でした。
看板に「呉服座」と書いてあったので、最初は「ごふくざ」と読んでしまいましたが、正しくは「くれはざ」と読むようです。
呉服座の中に入ると、往年の舞台俳優たちの写真が、鴨居の上に飾られています。
また奥を見やると、客席が枡形に区切られ、両脇の席の上には提灯がぶら下がっていました。
しかし、上演されていたわけではないので、小屋の中は暗かったのですけどね。
服=機織り
ところで、呉服座の読み仮名が「くれはざ」というのは変わった読み方だと思いませんか?
実は「服」という漢字を、大昔は「はたおり、はとり」と訓読みしていました。
それゆえ「呉服」も「くれはとり」と読まれていた時期があったのです。
「はたおり、はとり」とは、バッタンバッタンと布を織る「機織(はたお)り」のことです。
古墳時代のヤマト王権のもとでは、その職業の人を「はたおりべ、はとりべ」と呼び、「服部」という漢字が当てられていました。
後に、読み方だけ「べ」が取れ、「服部(はっとり)」という名字になっています。
では、続けて駄菓子屋を見に行きます。

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