竹中半兵衛は戦国時代の武将で、織田信長と豊臣秀吉に軍師として仕えました。
大河ドラマになった黒田官兵衛とともに、2人合わせて「両兵衛(りょうべえ)」や「二兵衛(にへえ)」と称されるほど、活躍した人です。
竹中半兵衛は、岐阜県垂井町(たるいちょう)にある菩提山城を拠点としていました。
前回は、その嫡男が建てた竹中氏陣屋の跡地を訪れましたので、今回は菩提山に登ります。

ふたたび竹中氏陣屋跡の駐車場へ
竹中氏陣屋跡へは、関ヶ原バイパス(国道21号線)の丁字路「野上西」から県道53号線に入り、交差点「長畑」を北へ左折して集落の中を通っている県道257号線を進みます。

左側に巨大な石垣と櫓門(やぐらもん)を見ながらさらに進むと、右側に無料の観光駐車場がありました。
今回はいよいよ、竹中半兵衛の居城だった菩提山城跡(ぼだいさんじょうせき)に登ります。
前回、登山者が帰ってくる姿を見ていたので、ちょっと気になっていたのです。
菩提山の登山口を探して
前回、菁莪記念館の地図で見たのですが、菩提山の登山口がどこなのかすっかり忘れました。
しかし適当に菩提山のふもとを歩いていれば、そのうち登山口があるはずです。
ということで、とりあえず県道257号線を北へ向かいました。
すると前方に、JR東海道本線のガードが見えてきました。
これは、JR垂井駅からJR関ヶ原駅への急な上り坂を、貨物列車が迂回するための路線です。
軍事物資を運ぶ貨物列車がノロノロ走って敵に狙われないように、戦時中に作られました。
鉄道のガードをくぐった後は、すこしでも菩提山の方へ近付くため、旧道に入ります。
竹中半兵衛の菩提寺

さて旧道を歩いていると、禅幢寺(ぜんどうじ)の建物群が見えてきました。
入り口の右脇に建てられた石柱を見ると、「竹中半兵衛菩提所 岩手村禅幢寺」とあります。
竹中半兵衛のお墓があるようなので、ちょっと入ってみることに。
禅幢寺の山門をくぐると本堂の左脇に、竹中半兵衛のお墓を指し示す看板が立っていました。
まずは本堂の正面まで石畳を進み、看板にしたがって左へ歩いていきます。
幟(のぼり)に案内されて奥へ進んでいくと、祠(ほこら)の形をした竹中半兵衛のお墓がありました。
菩提山城跡の登山口へ

では、ふたたび旧道に戻ってさらに北へ進みます。
禅幢寺の大きな看板のところまで来ると、奥に八幡神社の鳥居と幟があって、菩提山の方へ行けるように見えました。

鳥居の近くまで歩いていくと案の定、菩提山城跡を指し示す案内板が出ています。
ようやく菩提山の登山口を見付けられました。
つぎはいよいよ菩提山を登ります。
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