以前、中日新聞を見ていたら、「せきがはら」の公式な町名表記は「関ケ原」である、と書かれていました。
町名の表記に「ヶ(ちいさなケ)」と「ケ(おおきなケ)」のバラツキがあるので、迷う人がいるようです。
確かにインターネットなどで、郵便番号から住所に変換すると「関ケ原」と表示されます。
そのたびにボクはいつも「ヶ(ちいさなケ)」に直していました。

むかしの人は「ヶ(ちいさなケ)」と書くことで、カタカナの「ケ」と区別してきたのだと思っていました。
そもそもどこの誰が、公式な町名を「関ケ原」に決めたのでしょうね。
関ヶ原とは、不破の関屋の近くにあるかや原という意味の地名。
不破の関屋のある松尾村の隣村だったが、明治30年に合併して不破の関屋のある村になりました。
新撰美濃志のコマ番号:38/446
国立国会図書館デジタルコレクションより
ちいさなケって何ですか?
さて子供の頃から「ヶ(ちいさなケ)」については、たびたびテレビ番組で取り上げられてきました。
むかしは、物を数えるときの漢字である「个」を間違えて「ヶ」と書いた、と教わりました。
つい最近、物を数えるときの漢字である「箇」を省略して「ヶ」と書いた、とテレビ番組で言っていました。
そもそも漢字「个」は、中国の漢代に「箇」から、たけかんむりの片方を取り出して作られた略字です。
結局のところ大元をたどれば、どちらも漢字「箇」に由来しているようです。

むかしの人は、画数の多い漢字を何度も書く必要があるとき、よく漢字の部首を取り出して使っていました。
たとえば、部民(べのたみ)の「部」なら「阝(おおざと)」、長さの単位「町」なら「丁」です。
日本でも中国でも、同じことをしていたようです。
部民とは、大和朝廷時代における大王家や豪族の私有民。
豪族名や職業名、地名に応じて「〇〇部」と呼ばれた。
漢字「部」の部首「阝」の草書体はその後、ひらがなの「へ」とカタカナの「ヘ」になりました。
文字の大きさで区別していたのに
そもそもカタカナは、漢字から一部分だけを抜き出して作られたものです。
呉音で「ケ」と発音されていた漢字「介」からは、カタカナの「ケ」が作られました。
ひらながは、漢字の草書体から作られました。
ということで、漢字「箇」の略字である「ケ(か)」とカタカナ「ケ」は、同じ文字になってしまいました。
同じ文字で発音が違うのは紛らわしいので、むかしの人は略字「ケ」を小さく書いたのでしょう。

ところが時代が移り変わって、地名の中の略字「ケ」を大きく表記する人たちが増えてきました。
紛らわしいのですが、大きい方が読みやすいなどと考えているのかも知れません。
八ッ場ダムの読み方
ちょっと昔に建設するかしないかで問題になったダムに、八ッ場ダムがありました。
群馬県を流れる吾妻川中流部に建設されたダムで、「やんば だむ」と読むのだとか。

カタカナは表音文字なので、読み方が「やんば」に変わった時点で表記を変えるべきだったと思います。
後世の人たちがみんな、読み方で苦労する羽目になりました。
ちなみに地名「八ッ場」の由来は諸説あるようです。
今のところ、まだはっきりとは特定できていないようです。
古語辞典を調べると、「八つ撥(やつばち)」という言葉がありました。
勝手な空想ですが、もしかすると雅楽の羯鼓(かっこ)と何か関係があるのかも知れません。
あとがき
学校で、ひらがなとカタカナは表音文字、漢字は表意文字だと習いました。
漢字ならまだしも、「ケ」を(か、が)、「ツ」を(ん)と発音するとは思いませんでした。
子どもたちに、ひらがなやカタカナは表音文字だが例外がある、と教えるのは大変そうです。
もしかすると、難しい読み方をする名前が爆発的に増えた影響なのかも知れません。

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