久しぶりに日本海が見たくなって、国道8号線を北上し、福井まで行ってきました。
しかし、海岸沿いの道路は交通量が多いので、めぐってきたのは内陸の今庄(いまじょう)付近です。
ただ今、北国街道の今庄宿の中を散策しております。
名産の梅肉と紅梅液

さて、畠山酒造を出発すると、すぐに大きく「梅肉」と書かれた看板を見つけました。
そもそもここは、元禄時代から続く大きな旅籠(はたご)だったそうです。
しかし、JR北陸本線が通ったことで旅人が大幅に減り、旅籠として立ち行かなくなってしまいました。

そこで、評判だった梅肉と紅梅液を、お土産として売る商売へと方向転換したのです。
実は旅籠だった時代から、梅の加工品を宿泊客に振る舞っていたのだそうです。

なお、その梅の発端は、若狭の小浜藩主が持ってきたものだそうです。
そういえば、若狭町の三方湖の南側のあたりは、有名な梅の産地です。
道沿いには、梅の木のみならず、梅干しなどを売るお店もたくさん見かけます。
卯建の上がる家

さて、ぐねぐねした宿場筋をしばらく歩いていると、めずらしい古民家を発見しました。
家の二階部分の両端の壁が、張り出しています。

これは、卯建(うだつ)の一種で袖卯建(そでうだつ)というそうです。
火災が発生したとき、隣の家から火が移るのを防ぐための防火設備です。

そういえば、岐阜県の美濃市にも「うだつの上がる町並み」という場所があります。
そこの卯建は、屋根の両端が一段高くなっており、その上に小屋根がついています。
同じ役割のものでも、地域によって、いろんな形があるものですね。
森の中にたたずむ新羅神社

さらに、北国街道を北に進むと、左側に新羅神社(しんらじんじゃ)の鳥居が現れました。
奥に階段がありますが、それほど高そうではないので、行ってみることに。

拝殿のしめ縄がちょっと変わっていて、パッと見た感じ、一本の竹に縄をぐるぐる巻きにしたもののように見えます。
なお、新羅神社の名前は、御神体が新羅大明神の木像だからのようです。

境内を散策していると、北の方が下り坂になっていましたので、そちらから降りることにしました。
観音堂はちょっと小ぎれいな廃寺

坂道を降りてくると、観音堂の石段の入り口に着きました。
時々でしょうが手入れされた、昔ながらの石段が、趣(おもむき)を感じさせてくれます。

軽く上まで登ってみましたが、観音堂にはもう誰もいないようで、ひっそりとしてます。
境内は、草があまり伸びていないので、すこし前に草刈りをした模様です。

なお境内の左側には、燧ヶ城址(ひうちがじょうし)へと続く登山道の入り口があります。

カタクリの群生地のようで、春先になるとカタクリの花を見に、登山客が訪れるそうです。
今では燧ヶ城址もハイキングコースに

ちょっと燧ヶ城址(ひうちがじょうし)まで、登ってみようかとも思いました。
しかし、熊よけ鈴を持っていないし暑いしで、足は自然と下りの道を選びました。

なお、燧ヶ城址を含む藤倉山全体は、ハイキングコースとして、町民の憩いの場になっているそうです。
ではふたたび、今庄宿を歩きますか。
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