久しぶりに日本海が見たくなって、国道8号線を北上し、福井まで行ってきました。
しかし、海岸沿いの道路は交通量が多いので、めぐってきたのは内陸の今庄(いまじょう)付近です。
ただ今、北国街道の今庄宿の中を散策しております。
和歌にちなんで付けられたお酒の名前
旅籠「若狭屋」を出発し反対側を見ると、屋根の上の巨大な看板が見えてきました。

堀口酒造有限会社の清酒「鳴り瓢(なりひさご)」と書いてあります。
これは、幕末に越前で生まれた国学者で歌人の橘曙覧(たちばなあけみ)の残した和歌、
とくとくと たりくる酒の 鳴り瓢 うれしき音を さするものかな
に因んで名付けられた、お酒の名前だそうです。
瓢を酒屋に持参して、お酒を買う風景

なお瓢(ひさご)とは、ひょうたんの実の中身を抜いて、乾燥させた容れ物のことであり、昔はよくそれにお酒を入れていました。

江戸時代、お酒などをお店に買いに行くときは通常、容れ物を持って行きました。
きっと、持参した瓢にお酒を入れてもらいながら、舌舐めずりしていたのでしょう。

そういえば、映画「ドランクモンキー酔拳」の中でも、主演のジャッキー・チェンが、師匠に頼まれてお酒を買いに行くとき、瓢箪(ひょうたん)を持って行きましたね。
ケチった分を水で埋めたので、あとで師匠に怒られていましたが……。
一風変わった黄色い家

さて、向かいの家に目をやると、これまでと全く違う風貌の古民家が現れました。

むかしは火災が多かったので、燃えやすい木の部分を隠すように、いたるところを土で塗り込めてあるそうです。
ところで、今庄宿の卯建(うだつ)は、袖卯建(そでうだつ)が主流だと思っていましたが、裕福な家の場合はこのように、岐阜県の美濃市と似た形の卯建もあるようです。
江戸時代は、造り酒屋だった

江戸時代、この黄色い家は造り酒屋だったそうで、玄関を入ってすぐ左には帳場があったようです。

入ってすぐの正面には囲炉裏があって、寒い時期には客人をもてなしていたそうです。

中に上がると、二階へと続く階段箪笥?もありました。
現在、階段を上がって二階には行けませんが、使用人の部屋になっていたそうです。

なお建物の正面左側は、本陣形式になっていて、お武家さま専用の出入り口もあります。

お武家さま専用の出入り口から入ったところには、大きな屏風が置いてあります。
どうやら七言古詩形式の漢詩のようですが、何が書いてあるのかはさっぱり判りません。

奥に進んで板の間に出ると、中央の柱の庭側に付けられた、刀傷を見られます。
その刀傷は、酔っ払った水戸天狗党(尊王攘夷派)が付けたと伝えられています。

水戸天狗党の説明を求めても、明確な回答は得られませんでしたので、あらかじめ勉強していくのが良さそうです。
床の間の地図

さて床の間には、江戸時代のものと思われる地図が、表装されて掛けられています。
近づいてよく見ると、かなり正確に作られた日本地図のように見えます。
版元は、有名な須原屋茂兵衛となっていますが、国外持ち出し禁止の日本地図が、江戸の市中に出回っていたとは、考えにくいです。

当時、シーボルトが日本地図を海外に持ち出そうとして、捕まっていますしね。
たぶん後の世に、誰かがそれらしく、作ったものではないでしょうかね。
では、北国街道をさらに北へ進みます。
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