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【滋賀】長浜市湖北町の伊部宿を通って雲雀山へ その1 (駐車場から伊部宿へ篇)

名所史跡めぐり
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長浜市湖北町(こほくちょう)と山ノ前町(やまのまえちょう)の境には、雲雀山(ひばりやま)があります。
山頂の砦跡を見るため以前、涌出山(ゆるぎやま)の帰りに、ちょっと寄り道してみました。

ヒバリ

ところが、ふもとの古矢真神社(こやま じんじゃ)に着くと、奥の登り口は封鎖されていました。
雲雀山の北側にある墓地から登った方が、良かったのかも知れません。

小谷城跡ガイド館の駐車場へ

ということで、まずは小谷山(おだにやま)のふもとにある、小谷城跡ガイド館の駐車場へ向かいました。
本来は小谷城跡を訪れる人のための駐車場ですが、雲雀山の最寄りの駐車場でもあります。

駐車場に自動車を停めると、地元のボランティアガイドの方が近寄ってきました。
雲雀山へ登りたい旨を告げると「ああ、あの山ですね」と指差して教えてくれました。

ただ雲雀山は知っていても、登り口まではご存じないようです。
とりあえず雲雀山のある方角が判ったので、来た道を国道365号線の方へ歩いていきました。

国道365号線を渡って

自動車で来た道を通って、国道365号線の方へ歩き始めると、遠くに目的の雲雀山が見えました。
低い山なので、登り始めたらすぐ山頂に着いてしまいそうです。

雲雀山小谷山の間には現在、国道365号線が通っているので、別べつの山のように見えます。
ところが、かつては尾根が切通されておらず、一つにつながっていたようです。

赤信号

国道365号線を歩いて渡る人はめったにいないので、横断歩道の白線は引かれていません。
近くの信号機で自動車が停止している間に、道路を南側へ渡りました。

北国脇往還の伊部宿

さて田園地帯の中をさらに南へ向かって歩いていると、「伊部宿本陣跡」と書かれた看板がありました。
ただあたりに本陣跡らしき建物は見当たらないので、丁字路で左へ曲がって道なりに進みます。

すると南の方へずーっと続く、かつての北国脇往還伊部宿跡の景色が広がりました。
真っ直ぐなようで微妙に曲がっている道が、むかしの街道の雰囲気を漂わせています。

雲雀山交流会館の前まで来ると、伊部宿についての説明板がありました。
かつては小谷城の城下町として栄え、江戸時代には宿場町として 80~100軒ほどの屋敷が並んでいたようです。

小谷城は、織田信長との合戦(小谷城の戦い)で破壊されました。

意外に新しい伊部本陣跡

さて北国脇往還をしばらく南へ歩いていると、立派な伊部本陣跡がありました。
あまり建物が古めかしくないのは、火災や震災に遭(あ)ったのちに再建されたからだそうです。

北国脇往還 上小谷伊部宿 案内図
北国脇往還 上小谷伊部宿 案内図

伊部宿は別名を「上小谷宿」と呼ばれ、「下小谷宿」と呼ばれる郡上宿とともに、役務を分担してたのだとか。
福井方面へ上るときは伊部宿が、中山道方面へ下るときは郡上宿が、大名行列を引き受けたようです。

ちなみに伊能忠敬(いのう ただたか)が本陣に泊まった記録も残っているそうです。

伊能忠敬とは、江戸時代の商人で、全国津々浦々を測量して正確な日本地図を作ったことで有名です。

さらに伊部宿を歩いていきます。

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