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【三重】揖斐川右岸にある桑名市の観光地を巡って その2 (蟠龍櫓と三之丸跡篇)

名所史跡めぐり
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以前、油島(あぶらじま)の木曽三川公園センターに行ったとき、もらった「桑名七里の渡し公園」のパンフレットを見て、久しぶりに桑名市まで来ました。

結局、当初の目的地であった「桑名七里の渡し公園」は行かずじまいになりましたが、周辺の施設をいろいろと見てきました。

まずは六華苑第二駐車場に自動車を停めて、住吉浦休憩施設で観光マップを手に入れ、桑名の七里の渡し渡船場跡まで来ました。

蟠龍櫓を復元した、水門統合管理所

七里の渡し渡船場跡から橋を渡ると、広大な桑名城跡の北西の隅に入りました。
桑名城絵図によると、かつてこのあたりには下屋敷侍屋敷があったようです。

公園の名前が「三之丸公園」なのは、住所が「三之丸」になっているからです。
かつてはこのあたりが、桑名城の三の丸跡だと考えられていたのでしょう。

蟠龍櫓(水門統合管理所)
蟠龍櫓(水門統合管理所)

この場所には水門統合管理所が建てられており、いざというときには、3つの防潮水門を開け閉めできるようになっています。

コタツでうたた寝する龍

ただコンクリートの外壁のままだと、景観に相応(ふさわ)しくありません。
かつてこの場所には、蟠龍櫓(ばんりゅう やぐら)があったので、外観が復元されました。

蟠龍とは、天に昇る前のとぐろを巻いている龍のこと。

桑名城の至るところにはかつて、50余りの櫓(やぐら)が建っていたそうです。

蟠龍櫓2階の展望室

蟠龍櫓の2階は展望室になっており、休館の月曜日以外は、一般に開放されています。
展望室に上がってくると、壁には桑名藩主の肖像画や古地図などが展示されていました。

軍事拠点であった蟠龍櫓を復元しているので、どの窓にも縦格子(連子ともいう)がハマっています。
縦格子の隙間からでは、満足に外の景色が眺められませんでした。

蟠龍瓦
蟠龍瓦

展望室には、かつて蟠龍櫓の屋根の上にあったとされる、蟠龍瓦も作って置いてありました。
冠瓦なので下から見て判りやすいように、頭が大きめに作られています。

三之丸跡は、コミュニティパーク

蟠龍櫓から南へ三之丸公園の中を突っ切って、三之丸堀の西側通路を南へ進み、水門開閉機がある狭い橋を渡ってくると、芝生が生えた広い公園に出ました。

その公園の南部と駐車場のあたりは、かつて三之丸御殿とよばれる場所だったそうです。

明治中頃になると内郭堀が埋め立てられて紡績工場が建てられ、その後、跡地には「吉之丸コミュニティパーク」という公園が造られました。

現在は命名権柿安本店に売却されて「柿安コミュニティパーク」になっています。

睨み付ける本多忠勝像

本多忠勝像
本多忠勝像

三之丸堀の東側の通路を南へ歩いてくると、「柿安コミュニティパーク」の出入り口の横に、本多忠勝(ほんだ ただかつ)の像がありました。

徳川家康(とくがわ いえやす)の重臣であった本多忠勝は、関ヶ原の戦いの翌年(1601年)に、桑名藩主になったそうです。

本格的に築城と城下町の整備に乗り出して、三之丸を新たに築き、そこに御殿を建てて住んだとのこと。

つぎは九華公園に見に行きます。

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