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【三重】揖斐川右岸にある桑名市の観光地を巡って その3 (九華公園前篇)

名所史跡めぐり
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以前、油島(あぶらじま)の木曽三川公園センターに行ったとき、もらった「桑名七里の渡し公園」のパンフレットを見て、久しぶりに桑名市まで来ました。

結局、当初の目的地であった「桑名七里の渡し公園」は行かずじまいになりましたが、周辺の施設をいろいろと見てきました。

桑名城跡の中に入って、蟠龍櫓の外観を復元した水門統合管理所の 2階展望室を訪れたあとは、三之丸跡に造られたコミュニティパークを通って、入り口で本多忠勝の像を見ました。

九華公園の北口から

本多忠勝(ほんだ ただかつ)像から、自動車に気を付けながら道路を渡ってくると、九華公園(きゅうか こうえん)の北の出入り口に着きました。

九華とは、宮廷の部屋や道具に付けられた美しい飾りのこと。
そこから建物や道具に対する美称として使われることに。九華帳、九華灯など。
江戸時代から「くわな」の当て字としても、使われていたそうです。

入り口の地図で確認すると、九華公園は池の中にいくつもの島が浮かんでいる感じです。
島と島の間には橋が架かっているので、くるっと一周できそうです。

ということで、とりあえず西側の南北に細長い島を、南へ向かうことにしました。

保存状態が良くない、桑名城跡

さて九華公園は、桑名城跡の本丸や二之丸、朝日丸のあたりを、整備し直して造られました。
残念なことに、いくつもの堀が埋められたり、朝日丸が堀で切られたりしています。

むかしの方にとっては、歴史的な遺構を保存することよりも、市民プールや野球場、コミュニティパークを造ることのほうが、よほど大事だったようです。

ところでこのあたりの地名の元になっている「吉之丸」って、一体どこなのでしょうか?
古地図を調べてみたら、二之丸の南側が「吉野丸」という曲輪になっていました。

大名のしるしが刻まれた、刻印石

南に向かって歩いてくると、刻印石が置かれている場所に着きました。

刻印石
刻印石

桑名城でも、お城は配下の家臣に造らせたようです。
どの家臣が運んだか判るように、石の表面にはその家臣を表す刻印が刻まれていました。

もともとは桑名城の石垣として使われていたのでしょう。
九華公園の整備したときに石垣から外されて、ここに並べられたようです。

花しょうぶ園とカメ

花しょうぶ園
花しょうぶ園

さらに南へ歩いてくると橋の向こうに、柵で囲まれた雑草だらけの場所を見付けました。
この場所は花しょうぶ園になっているようです。

菖蒲の読み方には、「しょうぶ」と「あやめ」の 2通りがあります。

見頃は初夏から梅雨入りに掛けてなので、来るのが遅すぎました。
ちなみに九華公園では毎年、「花菖蒲まつり」が開催されるようです。

橋の下のカメたち
橋の下のカメたち

さて二之丸に渡るため、橋の近くへ行くと、堀から一斉にポチャポチャと音がしました。
何か居るのかと思って橋の下を見ると、その音の原因はカメだったようです。

橋を渡るときに堀の中をのぞくと、先ほど飛び込んだであろうカメたちが、泳ぎながら頭をもたげて、物欲しそうにこちらを見ていました。

つぎは二之丸跡から朝日丸跡南部を通って、本丸跡へ行きます。

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