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【三重】揖斐川右岸にある桑名市の観光地を巡って その4 (九華公園後篇)

名所史跡めぐり
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以前、油島(あぶらじま)の木曽三川公園センターに行ったとき、もらった「桑名七里の渡し公園」のパンフレットを見て、久しぶりに桑名市まで来ました。

結局、当初の目的地であった「桑名七里の渡し公園」は行かずじまいになりましたが、周辺の施設をいろいろと見てきました。

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北口から九華公園に入って、まっすぐに南へ進み、かつて石垣に使われていた刻印石を見たり、見頃を過ぎた花しょうぶ園を見たりしました。

二之丸跡から朝日丸跡へ

二之丸跡

二之丸跡

橋脚にカメがいる橋を東へ渡ってくると、二之丸跡に着きました。
花見の時期になると混雑するようですが、夏場は暑いのであずま屋の中でさえ誰もいません。

さらに東へ歩いていくと、朝日丸南部へと架かる折れ曲がった橋がありました。
八つ橋風になっていますが、安全性を考慮して朱色の欄干が付いています。

八つ橋とは、愛知県知立市(ちりゅうし)にある無量寿寺(むりょうじゅじ)の八橋かきつばた園にある、折れ曲がった木製の橋のこと。
ちなみに京都の和菓子「(焼)八ツ橋」は、箏曲の名手である八橋検校(やつはし けんぎょう)に因んで、箏(こと)の形をしているとの説が有力です。

朝日丸跡南部からは、あずま屋がある橋を渡って、朝日丸跡北部に向かいました。
南北に長かった朝日丸は堀で切られて、北部は野球場に、南部は緑化公園になっています。

本丸跡の角にある、辰巳櫓跡と神戸櫓跡

辰巳櫓跡

辰巳櫓跡

橋を渡ってすこし歩いてくると、辰巳櫓跡(たつみ やぐらあと)がありました。

辰巳櫓は桑名城本丸の南東角に建っていた三重の櫓で、明治維新のときに焼き払われるまでは、焼けてしまった天守閣に代わって長年、桑名城を代表する建物だったそうです。

なお辰巳櫓跡の上に置かれている、大砲の謂(いわ)れは判っていません。

神戸櫓跡

神戸櫓跡

桑名城本丸の南西角には、神戸櫓跡(かんべ やぐらあと)もありました。
普通なら方角から、未申(ひつじさる)櫓と名付けられて然るべきです。

本多忠勝

しかしもともと伊勢神戸城の天守閣だったものを移築したので、「神戸」と呼ばれました。
本多忠勝が桑名城を築くときには、そのまま神戸櫓として流用したようです。

桑名城の本丸跡には大きな木

辰巳櫓と神戸櫓の跡地は桑名城跡の本丸の角にあるので、すぐ近くにある本丸の中心部を見に行きました。

本丸の中心部は広場になっていて、その中央には大きな木が生えていました。
木の下へ行くと大きな石碑がありましたが、桑名城とは直接関係が無さそうです。

何だか物足りないので、さらにあたりを歩いてみることにしました。

鎮守の森の片隅には、天守閣跡

本丸跡を歩いていると立派な神社があったので、参道を奥へ歩いていきます。
すると社殿の横に、巨大な石碑と石垣が見えました。

桑名城天守閣跡

桑名城天守閣跡

桑名城の天守閣があった場所だそうですが、石垣は昭和53年に積み直されたものです。
石垣が崩壊するおそれがあるので、立ち入り禁止になっていました。

石垣を垂直に積んだので、崩れやすくなってしまったようです。

桑名城跡の石碑

桑名城跡の石碑

九華橋まで戻ってくると、めぼしい場所は大体見たようなので、桑名城跡を後にしました。

 

つぎは桑名宿のあたりを歩きます。

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