岐阜県揖斐郡揖斐川町(いびぐん いびがわちょう)には、城台山(じょうだいさん)があります。
城台山公園として整備されており、山頂には揖斐城跡があるそうです。
ということで、ふもとの三輪神社から城台山に登って、揖斐城跡を訪れてきました。
尾根続きに城ヶ峰があったので、ついでに足を伸ばしています。

揖斐城跡の二の丸跡から、大手門跡、三の丸跡、出丸跡と歩いたあとは、切通し跡を通り抜け、さらに北の丸跡、搦手跡を歩きました。
尾根越えの峠道
峠(左)城裏 峠(奥)城ヶ峰(右)大光寺
さて揖斐城搦手跡からは、城ヶ峰頂上を目指して尾根筋を下っていきました。
すると、左側ふもとの城裏集落と右側ふもとの大光寺集落とを結ぶ、尾根越えの峠道に差し掛かります。
大光寺集落にあるお寺の名前は、大興寺といいます。
尾根を越えやすくするため、尾根が掘り下げられて切通しになっていました。
ちなみに城ヶ峰頂上までは、残すところ 1.3キロメートルです。
城ヶ峰まで 1.3キロメートル 探鳥の里
なおこの先の一帯は「探鳥の里」と名付けられているようです。
双眼鏡を片手に山中を歩けば、いろいろな鳥を見つけられるかも知れません。
反射板の横を通って
城ヶ峰への道 急な上り坂
峠からは、さらに城ヶ峰頂上へ向かって尾根筋を歩いていきました。
比較的なだらかな山道が続きますが、しばらくすると急勾配の上り坂が始まります。
反射板(無給電中継装置) 反射板からの眺め、権現山と濃尾平野
坂道を登った先には、反射板(無給電中継装置)がありました。
ただ展望所ではないので、フェンスや樹木が邪魔をして、あまり見晴らしは良くありません。
竪堀跡や堀切跡、曲輪跡らしき遺構群
急で石だらけの坂道 岩の露出する山道
さて反射板からふたたび歩き始めると、次第に起伏が激しくなってきました。
処どころに岩場もあるので、足元に気をつけながら歩きます。
曲輪跡のような平坦地 竪堀跡か?
城ヶ峰頂上が近くなると、城郭の遺構である、竪堀跡や堀切跡、曲輪跡も見掛けるようになりました。
かなり埋まっているので、揖斐城より古い時代の城郭かも知れません。
薄っすら堀切跡(左)、土橋 薄っすら堀切跡(右)
城ヶ峰という名前は、揖斐城跡に連なる峰ではなくて、「お城のある峰」という意味だったようです。
新撰美濃志には載っていないようなので、歴史から消えたお城かも知れません。
新撰美濃志のコマ番号:188/446
国立国会図書館デジタルコレクションより
城ヶ峰頂上にて

ということで城ヶ峰頂上に着きました。
あたりには草木が茂っており、山頂広場はあまり広くはありません。
城ヶ峰頂上三角点 牛洞峠案内板
南東側には、揖斐郡大野町にある牛洞峠の方向を指し示す案内板がありました。
以前、大野町運動公園から登ったことがあります。

ただ牛洞まで歩くのは遠すぎるので、行くのを止めてしまいました。
牛洞へ行く途中の小野坂峠から下山して、三輪神社まで戻れば、面白かったかも知れません。
あとがき
今まで城台山公園の存在も、そこに揖斐城跡があることも、まったく知りませんでした。
ところがいざ登ってみたら、意外に大きな城跡があってビックリです。
歩いている人をほとんど見掛けなかったので、あまり有名ではないのかも知れません。
今回は三輪神社から登りましたが、歴史民俗資料館から登った方が駐車場が広くて良さそうです。
大光寺集落へ 竪堀跡を見上げて
ちなみに帰り道、峠道を大光寺集落へ下っていくと、すぐ山側に竪堀跡を見つけました。
丸みを帯びているので、水流で削られた訳ではなく、明らかに人工的に造られたものです。
たぶん平面図に載っていない揖斐城の遺構でしょうね。
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