【岐阜】揖斐郡揖斐川町の横蔵寺からいこいの森へ その3 (馬場跡から熊谷直実の墓へ篇)

名所史跡めぐり
この記事は約3分で読めます。

岐阜県揖斐郡揖斐川町(いびぐん いびがわちょう)には、いこいの森があります。
以前、横蔵寺(よこくらじ)へ参拝したとき、設置されていた案内板でその存在を知りました。

ということで、いこいの森を散策してきました。
ただ頂上付近は一面に雪が積もっていたので、行ってきたのは旧横蔵寺本堂跡までです。

いこいの森案内図
いこいの森案内図

つづら折りの坂道を登って、展望所に寄り道したあとは、休憩舎で一休みして、仁王門跡まで登ってきました。

スポンサーリンク

仁王門跡の上にも建物跡

さて旧横蔵寺仁王門跡からは、東海自然歩道の案内板にしたがって、丸太階段を登っていきました。
この先に、稚児(ちご)の岩熊谷直実(くまがい なおざね)の墓があるようです。

仁王門跡から右へ伸びる横がけ道を通って直接、本堂跡へ行くこともできます。

旧横蔵寺建物跡
旧横蔵寺建物跡

すると仁王門跡の一段上にも、平らな敷地が広がっていました。
案内板はありませんが、きっと旧横蔵寺に関係する建物があったのでしょう。

もしかすると、仁王門を護衛する人たちの待機所があったのかも知れません。
ただ礎石などはまったく遺(のこ)っておらず、現在はヒノキの格好の植林地になっています。

一周600メートルの馬場跡

旧横蔵寺馬場跡
旧横蔵寺馬場跡

さらにもう一段上へ登ったところには、旧横蔵寺馬場跡がありました。
僧兵たちが馬を乗り回していたところだそうで、一周りすると 600メートルあるのだとか。

折角なので、長い馬場跡の中を半分くらいまで歩いてみました。
途中の段差を乗り越えるとさらに奥へ続いており、終点には西の講堂跡があるようです。

武蔵坊弁慶

城跡ではよく馬場跡を見掛けますが、寺院跡では初めて見ました。
日本史の授業で、むかしの寺院には僧兵がいたと習ったので、馬場跡があるのは当然なのかも知れません。

稚児の岩の悲しい逸話

さて馬場跡からは、比較的緩やかな山道を奥の方へ歩いていきました。
しばらく歩いていくと「稚児の岩(稚児ヶ岩とも)」と名付けられた巨岩があります。

稚児の岩を見上げて

稚児の岩を見上げると岩肌がゴツゴツとしており、何とも威圧的な雰囲気がしました。
横の斜面には足跡が残っているので、岩の上まで登っていく人もいるようです。

稚児

岩に立て掛けられた説明板によると、稚児たちの悲しい逸話が秘められているようです。
詳しく書かれていないのは、隠しておきたい話だからかも知れません。

天台宗や真言宗などの寺院で稚児とは、出家していない少年の召し使いのこと。

熊谷直実の墓

稚児の岩からさらに奥へ進むと、道は二手に分かれていました。
まずは左の広場を見て回りましたが何もないので、右の丸太階段を登っていきます。

熊谷直実の墓
熊谷直実の墓

すると道の脇に、背の高い宝篋印塔(ほうきょういんとう)とたくさんの五輪塔が並べられていました。
真ん中の宝篋印塔が、平安末期の源氏の武将である熊谷直実(くまがい なおざね)の墓だそうです。

熊谷直実の墓はまだ新しいので、近年になって建て直されたものだと思われます。

熊谷直実は一ノ谷の戦いで、平清盛の甥である平敦盛(たいらのあつもり)を討った人です。
息子と年の近い若者を討ったことで武家の無情を悟り、法然に教えを請うて修行僧として諸国行脚しました。

最期は横蔵寺で亡くなったと伝えられています。

さらにいこいの森を歩いていきます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました