岐阜県大垣市青墓町(おおがきし あおはかちょう)には、青少年憩いの森があります。
谷あいに円興寺というお寺があって、その西と東の山に 2つのルートが整備されています。
東側の朝長ルートは、元円興寺跡と源朝長墓所を巡る、のべ1610メートルの遊歩道。
西側の円興寺ルートは、円興寺から展望台経由で山中を巡る、のべ555メートルの遊歩道。
今回は、青少年憩いの森遊歩道の円興寺ルートを歩いてきました。
前回は元円興寺跡を歩き回っていたので、今回は現在の円興寺を訪ねます。

円興寺の駐車場へ
まずは円興寺の駐車場へ向かいました。
県道216号線(旧中山道)の交差点「昼飯町」で北へ入って、県道241号線を道なりに進みます。
山沿いの道路を走っていると、左側に小さな円興寺への案内板があります。
気を付けていないと見落としそうですが、何ヶ所かあるので、それらのどこかで集落の中へ。

駐車場に自動車を停めると、奥に「圓興寺 駐車場」と書かれた看板がありました。
なお紅葉の時期は混み合うおそれがあるので、円興寺裏手の北口駐車場に停めたほうが良さそうです。
県道241号線は、揖斐郡池田町から大垣市青墓町へ来るときに、かつて通っていた道です。
現在は梅谷片山トンネルが出来たので、通らなくなりました。
円興寺の縁起

円興寺の入り口は、駐車場から道路をはさんで向かい側にありました。
東山道青墓宿の長者であった大炊(おおい)氏の寄進を得て、伝教大師最澄が建てたお寺だそうです。
そもそも最初の円興寺は、東側の山の頂上に聖観音立像をご本尊として建てられました。
七堂伽藍を配しており、金堂はおよそ13メートル四方の荘厳な建物だったようです。

ところが織田信長の兵火によって、最初の円興寺は焼け落ちてしまいました。
一旦は東側のふもとに再建されましたが、落雷でふたたび焼け落ち、西側のふもとへ移し建てられています。
円興寺は源朝長の菩提寺

さて円興寺の細い参道を登っていくと、車止めがありました。
手前右手に駐車場がありますが、あまり広くないので混雑時は登ってこない方が無難です。

駐車場の片隅には、真っ赤な鎧兜を身に着けた若武者の絵が飾られていました。
絵に「源朝長公 墓所」と書かれているので、描かれているのは源朝長(みなもとのともなが)のようです。
平治の乱で平清盛に敗れた源義朝一行は、再起を図るため東山道青墓宿まで落ち延びてきます。
途中で脚に深手を負った源朝長は観念して、弱冠16歳で自ら命を絶つことになります。
源朝長墓所は、朝長ルートの途中にあります。
円興寺本堂と鐘つき堂
円興寺石段下(左)本堂 円興寺石段下(右)庫裏(寺務所)
石段の手前を庫裏の方へ進んだところには、ご本尊の聖観音立像についての解説板がありました。
伝教大師最澄が円興寺を建てるにあたって彫ったものだ、と言い伝えられています。

一木造りの木彫像で、表面は木地の色そのものの茶褐色ですが、かつては彩色が施されていたようです。
なお一般公開はされていないので、その姿は見られません。
円興寺本堂 円興寺鐘つき堂
石段を登っていくと右手に、円興寺の本堂と鐘つき堂がありました。
本堂の中には、最長の彫ったご本尊が安置されています。
さらに円興寺ルートを歩いていきます。
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