岐阜県海津市南濃町(かいづし なんのうちょう)には、石津御嶽があります。
以前、三重県桑名市多度町(くわなし たどちょう)の多度山に登ったとき、その存在を知りました。
ということで、ふもとから直接、石津御嶽頂上の御嶽神社まで登ってきました。
意外に早く着いたので、ついでに三重県いなべ市の恋姫山にも足を伸ばしています。

石津御嶽のふもとの駐車場から、石津御嶽コースを登り始めたあとは、御嶽神社の石鳥居をくぐって、登山口から 4合目の展望デッキまで登ってきました。
採石場を見下ろす尾根筋
4合目の標柱 4合目の立て札
さて展望デッキから御嶽登山道に戻ると、4合目の標柱と立て札がありました。
まだしばらくはいしづ里山公園のようで、谷側には柵が、山側には土留が、曲がり角にはベンチがあります。
マツの木の生えた尾根筋 眼下に採石場
ところが「危険 立入禁止」の看板を目にしたあたりから、マツの木の生い茂る尾根筋に変わりました。
右側の柵の向こうは採石場になっており、尾根筋の近くまで山が削られているようです。
5合目地点 5合目からの景色
ようやく石津御嶽の 5合目にたどり着いたので、景色を眺めてみることに。
辛うじて濃尾平野と揖斐川が見えますが、マツの木が邪魔であまりよく見えませんでした。
霊神碑群の並べられた7合目で休憩
御嶽参道の案内板 6合目の標柱
マツの木の生い茂る尾根筋が終わると、登山道はふたたび森の中へ入っていきました。
しばらく登っていくと、6合目の標柱が斜面に埋め込まれています。
つづら折りの坂道 別の尾根筋の上へ
もういしづ里山公園は終わったようで、登山道の谷側に柵は無くなりました。
ひたすら、つづら折りの坂道を登っていくと、別の尾根筋にたどり着いたので、ベンチで休憩することに。
7合目の標柱と霊神碑群 尾根筋に並ぶ霊神碑群
石津御嶽の 7合目でもあるその場所には、変わった形で平べったい霊神碑群がいくつも並んでいました。
どうやら風化して板状節理で割れた岩を、霊神碑として利用したようです。
霊神碑とは、死後に魂が御嶽へ還ることを願い、御嶽講の人たちによって建てられた石碑。
八海山社と覚明の石像
尾根に通された切通し 8合目の標柱
7合目を過ぎると、登山道は次第に急勾配になっていきました。
尾根筋を比較的まっすぐに登っていくので大変ですが、そのせいか早くも 8合目を通過します。
分岐点(奥)御嶽登山道(右上)八海山社 八海山社
しばらく登っていると石段があって、その上に八海山社の祠(ほこら)が祀(まつ)られていました。
木曽の御嶽山の 5合目にある、八海山神社をなぞらえたものだと思われます。
9合目の標柱 御嶽山九合目 大開山覚明霊神御尊像
石津御嶽の 9合目には、尾張国の行者 覚明(かくめい)の石像が、石積みの上に安置されていました。
覚明は江戸後期に、木曽の御嶽山の登山道のうち、三岳村の黒沢口を開いた方です。
御嶽山三角点と御嶽神社への分岐点
標高 600メートル 御嶽山三角点
さらに標高 600メートル地点を過ぎて、すこし登ったところには御嶽山三角点がありました。
登山道から外れた場所にあるので、気を付けないと見落としてしまいそうです。

ということで、ようやく分岐点にたどり着きました。
このまま奥へ進めば、尾根筋を歩いておよそ 2時間で、多度山まで行けるようです。
分岐点の建物 御嶽神社への道
ただ今回は右へ曲がって、恋姫山方面へ向かいました。
御嶽神社までは、あともうすこし歩かなければならないようです。
さらに石津御嶽を歩いていきます。
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