滋賀県長浜市高月町(ながはまし たかつきちょう)には、磯野山城跡(いそのやま じょうあと)があります。
以前、賤ヶ岳(しずがたけ)から山本山まで尾根伝いに歩いたとき、その存在を知りました。
また余呉川沿いのさざなみ街道(県道44号線)を走っていても、山の斜面に磯野山城跡の看板を見掛けます。
気になるので、ふもとから磯野山城跡まで登ってきました。

松尾寺から磯野山の斜面を登って、尾根筋にたどり着いたあとは、見晴台から景色を眺め、磯野山城跡の遺構を探しながら、主郭まで登ってきました。
すぐ東側には、副郭


さて磯野山城跡の主郭から草むらを通り抜けて東側に下りてくると、副郭がありました。
最初はただの曲輪だとばかり思っていたのですけどね。
キョロキョロしていると樹木の陰に、副郭の案内板が東の方角に向けて設置されていました。
案内板が黒いので、注意して探さないと見落としてしまいそうです。

副郭の東端には、尾根筋を横一直線に分断する堀切がありました。
かなり埋まっていますが未だにはっきりと判るので、かつては相当な幅と深さがあったのでしょう。
鬱蒼とした森になった、見張所

しばらくなだらかな尾根筋を歩いていると、前方に高台が見えてきました。
右下にも曲輪らしき広場があるので、磯野山城跡における軍事施設だったのでしょう。


平らになった高台のてっぺんに上がってみると、木の根元に「見張所」と書かれた案内板がありました。
どうやらこの場所から北国街道などを見張って、敵軍の動きを監視していたようです。
ただ現在の見張所のまわりは、鬱蒼(うっそう)とした森になっています。
北国街道どころか山を登ってくる人でさえ、見張るのは難しいでしょうね。
見張所のその先にも堀切


見張所からは、そのまま斜面を下っていきました。
左(北)側を見ると木立の間から、はるか遠くに賤ヶ岳(しずがたけ)が望めます。



また地面が大きく波打っている堀切と土塁も見つけました。
自然にはなりえない形状なので、人工的な土木工事によって、大きく変えられたことが判ります。
ただ堀切には土橋らしきものが架けられて、渡りやすくなっていました。
ひとたび戦(いくさ)になれば土橋は落とされるので、磯野山城は戦場にならなかったのかも知れません。
なだらかな尾根筋を途中まで


堀切を渡ってさらに南東の尾根筋を歩いていきました。
主郭や副郭の案内板の向きから考えて、この尾根筋を登ってくるのを想定しているようです。
ただ倒木が頻繁(ひんぱん)に横たわっているので、簡単には登ってこられないようです。
磯野山城跡には、登りやすい登山道などは存在しないのでしょうね。
南東の尾根筋の登り口がどこかは気になりますが、これ以上下っていくと上まで登るのが大変です。
適当なところで戻ることにしました。
さらに磯野山城跡を歩いていきます。
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