以前、滋賀県の湖東地区にある太郎坊宮(たろうぼうぐう)という神社にお参りしたとき、ついでに手水舎のところから箕作山(みつくりやま)の頂上まで登ってきました。
箕作山を歩いていたら、至るところに「十三仏」への案内板が設置されています。
気になったので、日にちを改めて岩戸山十三仏のふもとから参道を登ってみました。
さらに岩戸山の頂上まで登ってみたら、山道が奥へと続いています。
小脇城跡(おわき じょうせき)を経由して、ふたたび箕作山の頂上まで行ってきました。

岩戸山十三仏の駐車場へ
岩戸山十三仏へは、県道208号線から十三仏の案内板に従って、道の北側へ曲がりました。
しかしそれ以降は、まったく案内板が見当たりません。
山のふもとを走っていると、ようやく「十三仏」と書かれた赤い看板を見付けました。
入り口には猪害防止柵があるので、ちょっと戸惑いますが、駐車場はその中にあります。

猪害防止柵を開けたり締めたりしながら、何とか自動車を中に停めました。
あまりに面倒だったので、猪害防止柵は出来れば、登山口に設置して欲しいです。
休憩所の中の十三仏口御堂
岩戸山十三仏への登山口には休憩所があるので、そこで身支度を整えられます。
また複数人で登ったときには、待ち合わせ場所としても使えそうです。
その入り口の脇には、十三仏口御堂(じゅうさんぶつ ぐち みどう)もあります。
お堂の中には、十三仏の姿が描かれた掛け軸が掛けられていました。
十三仏とは、十王を元に日本で考えられた、冥界の審理を司る13の仏のこと。
十三仏の掛け軸を、法事のとき床の間に掛けるという風習がある。
いざ岩戸山十三仏へ
準備が整いましたので、いよいよ岩戸山十三仏へ上ります。
登山口には、登山者に無料で貸し出すための杖が、大量に置いてありました。

石の千手観音のあたりからは、実際の登山道が始まるようです。
地面には町石が置いてあって、「是ヨリ七丁」と刻まれていました。
丁は、距離を表す単位「町」の略字。一町が約109メートル。
とりあえず石段を登り始めましたが、まだまだ先は長そうです。
大量の自然石と石仏群
岩戸山の登山道を上り始めるとすぐに、大量の自然石とそれぞれの上に安置された石仏が、出迎えてくれました。

岩戸山のみならず、このあたりに点在する山やまは、広範囲に広がる湖東カルデラの一部です。
それゆえに山の中を歩くと、至るところにリュウモン岩が転がっています。

小さな石は石仏の台座や石段、石垣などの材料として、昔から利用されてきました。
しかし巨大な岩は信仰の対象として、崇(あが)め奉(たてまつ)られているようです。
あずま屋には由緒書
さらにいくつもの自然石で作られた、長い石段を登っていきました。
なかなか石段の終わりが見えてこないので、ちょっと辛(つら)いものがあります。

そんなことを考えていると、ベンチが並べられて、あずま屋もある広い場所に出ました。
しばし休憩したり弁当を食べたりするのにも、良さそうです。

さて、あずま屋の天井近くを見ると、岩戸山十三仏の由緒書がありました。
聖徳太子が爪で巨岩に十三仏を刻んだという説もありますが、それよりも、ふもとの住民がノミで刻んだという説の方が、信憑性(しんぴょうせい)があります。
さらに岩戸山十三仏へと登っていきます。
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