以前、滋賀県の湖東地区にある太郎坊宮(たろうぼうぐう)へお参りしたときのことです。
ついでに箕作山(みつくりやま)に登ったら、至るところに「十三仏」への案内板が設置されていました。
気になったので、日にちを改めて岩戸山十三仏のふもとから、参道を登ってみました。
そのまま岩戸山頂上と小脇城跡(おわき じょうせき)を経由して、箕作山まで歩いてきました。

岩戸山十三仏の広場で、大岩に刻まれたという摩崖仏を探してみましたが、なかなか見付からないので、岩戸山の頂上を目指して岩だらけの山道を登り、断崖展望台から景色を眺めました。
岩戸山の頂上展望台

断崖展望台からさらに山道を登っていくと、すぐに分岐点がありました。
案内板によると岩戸山の頂上は、正面に見える岩場をさらに登ったところのようです。

距離が短いので簡単に登れそうに見えますが、足の踏み場を決めるのが大変です。
岩戸山の中では一番の難所のように感じました。
岩場を上がると平らな場所があって、遠くの方まで見渡せるようになっています。
すこし方角が変わったので、観音正寺がある繖山が見えるようになりました。
岩戸山の頂上は、米相場の旗振り場跡
頂上展望台からはさらにもう一段、高くなった場所に登れます。
信仰の対象になっているからなのか、そこら中の岩や木には赤と白の布が巻かれていました。

山頂の南西側には、平らになった側面に矢印が刻まれた岩がありました。
その矢印はおよそ13キロメートル離れた、滋賀県野洲市(やすし)の旗振山(はたふりやま、地図)の方角を、指しているそうです。
この場所は明治時代の中ごろまで、米相場の旗振り場として使われていました。
遠く離れた人と、旗の振り方によって通信をしていたそうです。
米相場の旗振り通信とは、当時の大阪と地方との間で米相場をいち早く伝達するための方法。
江戸時代中期に始まったが、明治時代になると電話の普及と共に、次第に廃(すた)れていった。
意外と歩きやすそうな箕作山への道
さて岩戸山の頂上から分岐点まで下りてきました。
箕作山への山道を見ると草が茫々なので、まともに歩けるのか心配になります。
行こうかどうしようか迷いましたが、とりあえず行けるところまで行ってみることにしました。

いざ箕作山の方へ歩き出してみると、山道がしっかりと踏み均されており、歩きやすそうです。
後ろを振り返ると、先ほどまでいた岩戸山の頂上が見えました。
しばらく歩いていると、小脇山の頂上までの距離を示す案内板が、山道の脇にありました。
小脇山城遺跡の始まり
小脇山頂上への山道は、始めのうちこそ緩やかだったのですが、次第に急になりました。
途中にはゴツゴツした岩場もあって、登るのに苦労することもあります。
ただ全体的にはそれほど登りにくいわけではなく、楽しんで登れました。

さらに小脇山を登っていくと、小脇山城遺跡に関する解説板がありました。
解説板に載っている地図を見ると、すでに小脇山城遺跡は始まっていたようです。

ただ小脇山城遺跡の判りやすい遺構は、解説板のあたりから始まっているようです。
あたりを見回すと、植物に埋もれていますが、断面が長方形の石がいくつも積まれていました。
小脇山の頂上を目指します。
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