滋賀県米原市番場(まいばらし ばんば)には、鎌刃城跡(かまは じょうせき)という山城跡があります。
以前から旧中山道番場宿の中を通るたびに、看板を見掛けて、とても気になっていました。
ある朝 Google Map(グーグル・マップ)で番場宿周辺を見たら、駐車場のマークを見付けました。
ということで早速、その日のうちに鎌刃城跡に登ってきました。

鎌刃城跡の北の曲輪群の中を歩いて主郭まで登り、桝形虎口や東虎口などを見たあとは、主郭の土塁を乗り越えて南の曲輪群の中を歩き、南端の土塁の手前まで来ました。
曲輪の南端にも大堀切
南-Ⅱ曲輪の土塁へ 土塁の上から大堀切 大堀切の底から
南の曲輪群からさらに南端の土塁を越えて南へ歩いていきます。
土塁に上ると、北端の大堀切には劣るものの、他の堀切に比べて大きな大堀切がありました。
この大堀切は、これから歩く細い尾根筋の 7つの堀切には含まれないようです。
大堀切の底に下りてみると、その深さはおよそ、ひとの背丈ほどあるようです。
現在はかなり崩(くず)れて埋まっているはずなので、むかしはなかなか渡れなかったことでしょう。
ということで細い尾根筋を歩くため、緩やかになった斜面を登っていきました。
7つの堀切で寸断された尾根筋
1つめの堀切 前方に大岩群 大岩の横を通り抜けて 岩場を登り 小山を越えて 一旦堀切まで下り ふたたび尾根筋を登って 緩やかに右へ曲がり 尾根筋のてっぺんへ
鎌刃城跡の最南端に位置する細長い尾根筋は、その両側が切り立った崖になっているとのこと。
その形状から「鎌の刃」に例えられ、「鎌刃城」の名前はここに由来するという説まであるようです。
ただ実際に歩いてみると、この尾根筋は比較的短い間隔で登り下りを繰り返しています。
どうせ例えるなら「鋸(のこぎり)の刃」の方が、シックリすると思われるのですけどね。
鎌は刃の形で大きく 2つに分けられ、ツルツルとした「刃鎌」とギザギザの「鋸鎌」があります。
鎌といえば通常、「刃鎌」の方を指します。
中山道番場宿石碑 中山道分間延絵図の番場宿 釜羽山(この辺り土肥三郎元頼古城跡)
「鎌刃」に使われている漢字は「番場」と同様に、単なる当て字なのではないでしょうか。
番場宿の石碑がある交差点に設置されている絵地図では、山の名前が「釜羽山」になっていました。
尾根筋のてっぺんから
てっぺんから(左) てっぺんから(中) てっぺんから(右)
さて、せっかく尾根筋のてっぺんまで来たので、あたりを見回してみました。
琵琶湖の方まで見えているようですが、木の枝が邪魔でよく見えません。
堀切は枯れ葉の下 あとは下りるだけ 切通しに到着
ひと通り景色を眺めたら、今度は尾根筋の急な斜面を切通し(きりどおし)まで下りていきます。
落ち葉が積もっているので、堀切はよく判りませんでした。
切通しとは、土砂を掘り削ることにより、山や丘を部分的に低くして通した道のこと。
ちなみにこの切通しは、番場集落と山を越えた先の武奈集落の間を行き来する、重要な道だったようです。
青龍滝を見に
切通しから青龍滝へ 林道を下って 青龍滝の上
近くに青龍滝があるとのことなので、見に行ってきました。
歩いていると遠くから滝の音が聞こえてきて、木々の間から滝が見えるようになります。

ということで、青龍滝の上まで来ました。
鎌刃城の近くには、井戸や湧き水などが無いので、当時は青龍滝から水を引いていたようです。

さらに歩いていくと、青龍滝の真下まで道が続いているようですが、もう引き返すことにしました。
さらに鎌刃城跡を歩いていきます。
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