以前、滋賀県の米原市(まいばらし)と長浜市(ながはまし)の間にある横山城跡に登ろうとして、米原市朝日にある観音寺へ行ったのですが、そのときは駐車場が工事中でした。
昨日(2019.08.11)、もうそろそろ駐車場の工事が終わっているだろうと思って、久しぶりに観音寺を訪れてきました。
その日は千日会だったのですが、山道に沿って安置された西国三十三所観音を数えながら、横山城の南城跡まで登って下り、観音寺の本坊で「三献の茶セット」を堪能しました。
朝日集落の観音寺へ
観音寺へは、国道365号線の五叉路「野一色東」を西へ入り、県道19号線の交差点「市場」でまた西へ右折します。
そのあと、新旧の観音坂トンネルの東側で 2度右折すると、観音寺の総門の前に着きます。

伊富貴山観音寺境内之図(参道が短縮されています)
現在は総門の東側にあった門番小屋と土塀の一部が取り壊されており、自動車が境内の中へ入れるようになっています。
そこから自動車のまま境内に入っていって、参道の左側にある駐車場に停めました。
総門からもう一度、境内へ

観音寺の総門
改めて総門から観音寺に入り直すため一旦、総門の右側を通って境内の外に出ます。
総門の前に行くと、地味なお寺の建物に彩りを添えるアジサイが植えてありました。

総門をくぐって
さてその日の午前中は、千日会(せんにちえ)という法要が執り行われる日だったようです。
道理でたくさんの自動車が、駐車場の中に停められているはずです。
ちなみに午後からは、「天下布武と明智光秀(あけち みつひで)」と題して、熊本大学の教授による歴史講座が開かれるようでした。
蓮池と最澄の教えを説く石碑

蓮池
なお総門の左側には、大きな蓮池と「宝道心也」と刻まれた石碑があります。
強風でも吹いたのか、すべての蓮の葉が寄り集まって、石碑を取り囲んでいました。
石碑の「宝道心也」とは、最澄の記した「山家学生式(さんげがくしょうしき)」のはじめの方に出てくる言葉です。
簡単に現代語訳すると「(国の)宝とは道徳心である」という意味です。
観音寺は天台宗なので、天台宗の開祖である伝教大師最澄の言葉を選んだのでしょう。
ゆるやかな参道を歩いて

観音寺の参道のはじまり(石碑「伊富貴山観音護国寺」)
観音寺の参道は、自動車も入れるように整備されています。
点在していた石碑や置き石などはすべて、総門の方へ押しやられてしまいました。
なお山号が「伊富貴山」なのは、鎌倉時代中期まで伊吹山の山中にあったからだそうです。

観音寺の参道と段々(石垣は補修されたようです)
さて観音寺はかつて、七堂伽藍を有するほどの大きなお寺でした。
本堂へと続く参道の両側は棚田のように段々になっているので、その当時はいくつもの僧坊や末寺などが建てられていたものと思われます。
千日会と開かれた本堂

本堂手前の階段
参道の最後の階段のふもとまで来ると、本堂の姿が見えてきました。
階段の途中には、手水舎もあるようです。
以前、観音寺を訪れたとき、境内は人っ子一人おらず、ひっそりと静まり返っていました。
しかし今回は、境内の中に読経(どきょう)の声が響き渡っており、賑(にぎ)やかです。
- 観音寺の宝篋印塔
- 観音寺の本堂
- 観音寺の鐘つき堂
参道の階段を登り終えると、本堂の中では当然のごとく千日会の法要が執り行われており、大勢の人の座っているのが見えました。
つぎは横山の西国三十三所観音巡拝を登ります。

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