以前、滋賀県東近江市(ひがしおうみし)にある太郎坊宮のふもとから、箕作山(みつくりやま)の頂上まで登ったことがあります。
そのときは、帰りに箕作城址へ行こうと思いながらも諦めたので、あらためて行ってみることにしました。
太郎坊宮から登っていくと遠いので、瓦屋寺から登り始めることにします。

北箕作山の山中にある建部大明神鎮座阯からふもとにおりたあとは、建部神社に参拝して、癌封じの欅ともよばれる瘤の欅を見上げ、建部神社の歴史に思いを馳せました。
箕作山のふもとにある、北山古墳
建部神社から瓦屋寺(かわらやじ)へは、まず県道209号線を歩いていきました。
道路の西側に、自転車も通れる緑色の歩道が設置されているので、安全に歩いていけます。

途中で県道209号線から離れて、山際の道を歩いていると、北山古墳の入り口がありました。
北山古墳は、箕作山の東側のふもとに造られた、横穴式石室が特徴の古墳です。
北山古墳への道 入り口の石積み 玄室へと通じる羨道
入口横の看板を見ると「この先 10メートル」と書かれ、案外近かったので見に行きました。
古墳の石積みは、大きな石のすき間に小石が詰め込まれ、頑丈に出来ていることが判ります。
一番奥まで 10メートル弱あるらしいのですが、閉所は嫌いなので入りませんでした。
瓦屋寺の旧参道を登って

北山古墳からふたたび歩きだすと、すぐに瓦屋寺の旧参道の入り口に着きました。
ここからは箕作山の中腹まで、1200段あまりの石段を登っていくことになります。
ちなみに瓦屋寺という名前は、箕作山のふもとの土を使って、大量の瓦が焼かれたことに由来します。
その瓦は摂津国難波の四天王寺の屋根を葺(ふ)くのに使われたそうです。

さて旧参道の石段を登り始めて、獣害防止柵を通り抜けると、地面に平らで大きな石が埋められていました。
この場所には、瓦屋寺の大きくて立派な門が建てられていたのでしょう。
聖徳太子の腰掛石

さらに石段を登ってくると、「聖徳太子御腰掛石」と刻まれた石碑が立てられていました。
すぐ横には四丁目の丁石もあります。
どの石が腰掛石なのかとあたりを見回しましたが、どの石が腰掛石なのか、よく判りません。
もしかすると、ここには石碑があるだけで、実物は大事に祀(まつ)られているのかも知れません。
旧参道の石垣
旧参道途中の石垣1 五丁目の丁石 旧参道途中の石垣2
さて旧参道を登っていると、石垣が積まれてその上が平地になっているところがあります。
段々畑や棚田、ひな壇にも似ています。
かつての瓦屋寺は、非常に大きな寺院でした。
旧参道の両脇にはいくつもの僧坊が建てられ、数多くの僧とその家族が生活していたそうです。

ただ時代とともに僧の数は減り、誰も住まなくなった僧坊は無くなってしまいました。
あとに遺(のこ)された石垣も、次第に崩れていっているようです。
あとがき
今回の一番の目的は、北箕作山にある箕作城址を見に行くことでした。
ところが山頂に着いても、箕作城址についての説明は何もありません。

それよりも思ってもみなかった建部神社の変遷を知れたことのほうが収穫でした。
そのうち近江国一之宮である建部大社の方にも行ってみたいと思います。
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