今はまだ初夏で、紅葉の季節ではありませんが、鶏足寺(けいそくじ)周辺を見に行ってきました。
鶏足寺は、琵琶湖の湖北地域にあります。

尾根を越えて鶏足寺へ

鶏足寺を示す道しるべにしたがって、尾根を越え道を下りていきました。
尾根道と違って、こちらの道は石畳になっていますので、歩きやすいです。

鶏足寺のふもとまでは、すぐに着きます。
今でこそ、鶏足寺という名前ですが、そもそもは飯福寺(はんぷくじ)というお寺でした。

飯福寺とは、鶏足寺の別院の一つだったところだそうです。
現在では、観光地としてキャッチーな「鶏足寺」という名前になってしまいました。
旧飯福寺の参道

旧飯福寺の参道を登っていくと、参道の両側に平らで広い敷地を見られます。
その広い敷地は、本堂にたどり着くまで、次から次へと段々畑のように続いていました。

それらの広い敷地はすべて、旧飯福寺の遺構です。
飯福寺が隆盛を極めていたころ、その広い敷地ごとに関連の寺院が建っていました。

お堂の手前まで来ると、石段の傾斜が急になっています。
もしお堂まで登るつもりなら、あらかじめ運動靴などに履き替えて、万全の体制で登られることをおすすめします。
鶏足寺のご本尊は
鶏足寺(旧飯福寺)は、紅葉の名所ではありますが、住職が住んでいません。
つまり廃寺であるため、夜間に限らず常にお寺は無人の状態です。

それゆえ防犯上の理由から、本来の鶏足寺のご本尊である十一面観音立像は、与志漏神社(よしろじんじゃ)の己高閣(ここうかく)の中に展示してあります。

そういえば、石道寺(しゃくどうじ)のご本尊も十一面観音菩薩立像でした。
このあたりで当時、十一面観音が流行っていたのですかね。
なお己高閣の中に入るには、社務所で拝観料を払う必要があります。
本来の鶏足寺は?

では、本来の鶏足寺はどこにあったのでしょうか?

実はかつて、己高山(こだかみやま)という1000メートル近い山の中腹にありました。

往時は、多くのお坊さんとその家族が住む、大きな建物がいくつも建っていました。
しかし現在では、本堂も焼けてしまい、建物と墓地庭園の跡を残すのみとなっています。
鶏足寺の由来

なお鶏足寺の名前は、伝教大師 最澄(でんぎょうだいし さいちょう)に由来するそうです。
最澄が、鳥の鳴き声と足跡に導かれて十一面観音像を見つけた場所が、行基が建てたとされる廃寺の中だったそうです。

山の中にいる鳥で、鳴き声が大きいと言えば、古くは「雉(きじ)」だと思われます。
昔話に出てくる鳥はやっぱり雉ですし、鳴き声も「ケンケーン」と大きく鳴きます。
吾、唯足るを知る
お寺の名前が、もし雉足寺だとすると、面白い考えが浮かびます。
これを縦書きすると、「唯足るを知る」寺になります。

京都の龍安寺(りょうあんじ)の蹲(つくばい)に書かれている「吾、唯足るを知る」と、同じになると思いませんか?

もし、伝教大師 最澄にゆかりがあるのなら、むしろその方がしっくりします。
あなたは自分がお寺の住職だとして、果たしてニワトリの足の寺などと名前を付けるでしょうか?
では、与志漏神社に向かいます。
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