【滋賀】湖東三山のひとつ百済寺を訪ねて その4 (旧本堂跡と五重塔跡篇)

森の中を歩く二人 神社仏閣めぐり
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滋賀県の琵琶湖の東側には、湖東三山(ことうさんざん)とよばれる、古くから続く 3つのお寺があります。
龍応山 西明寺松峰山 金剛輪寺釈迦山 百済寺がそれです。

紅葉の時期も美しいですが、人気(ひとけ)の少ない時期も、趣(おもむき)があって良いものです。
ということで、暖冬で雪がまったくない真冬の百済寺を訪れてきました。

百済寺坊跡分布図
百済寺坊跡分布図

弥勒坂の上から百済寺城の石垣遺構を見て、参道の石段の途中にある仁王門で阿形と吽形の金剛力士像を見たあとは、本堂の中で百済寺三百坊のジオラマを見ました。

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焼き討ちで生き残った、千年菩提樹

千年菩提樹の根元
千年菩提樹の根元

さて百済寺の本堂の横の出口から鐘つき堂の方へ出てくると、「千年菩提樹(せんねん ぼだいじゅ)」と名付けられた木が生えていました。

菩提樹とは、お釈迦様がその下で菩提(悟り)を開いたとされる木のこと。

千年菩提樹の全体
千年菩提樹の全体

ただ名前に「千年」の文字を冠している割には、細い幹がいくつもあるだけで、何だか貧弱そうです。

実はかつて織田信長による焼き討ちに遭って、一旦は幹がすっかり燃えてしまったそうです。
ところが幸いなことに根株が生きていたので、そこから萌芽更新(ほうがこうしん)し、現在に至りました。

萌芽更新とは、幹を切ったりして残った根株から、芽がいくつも出てきて育つこと。

ちなみに受付のある本坊の中の菩提樹は、この千年菩提樹の子株だそうです。

本堂の裏山にある、旧本堂跡へ

今まで知りませんでしたが、百済寺の現本堂の裏山には、百済寺の旧本堂跡があるようです。
鐘つき堂の近くから石段を登って、見に行くことにしました。

ガタガタの石段を登っていくと、手前に溝が掘られていて、すこし開けた場所にでました。
ただ本堂の跡地にしては狭いので、さらに左側に見えた道を登ってみることに。

百済寺の旧本堂跡
百済寺の旧本堂跡

すると、奥の方までずっと広がっている平らな場所に出ました。
何も案内はありませんが、どうやら百済寺の旧本堂跡に着いたようです。

ただ現在はすっかり荒れ果てており、あたりはスギの枯れ葉だらけで、倒木が放置されていました。

さらに登って、五重の塔跡へ

ひとの歩いた跡をたどって、旧本堂跡の中を右の方へ行ってみました。
道はハッキリしませんし、倒木が道を塞(ふさ)ぎ、斜面に作られた細い道は、今にも崩れそうです。

最後に朽ちた丸太の階段を登ると、こぢんまりした平らな場所に出ました。
何も案内はありませんが、見るからに百済寺の五重塔跡のようです。

土のうで縁取られた五重塔跡
土のうで縁取られた五重塔跡

土のうが地面に正方形に並べられており、五重塔跡であることを物語っていました。
土台の土が雨で流れ出すのを防ぐために置かれているのでしょう。

山側に礎石が 2つ置かれているので、五重塔の入り口は山側にあったようです。

五重塔の傍らの平らな石

五重塔跡の石灯籠の基礎石
五重塔跡の石灯籠の基礎石

さて五重塔跡を歩いていると、一辺だけがまっすぐな平たい大石を見つけました。
大石の上には円形の凹みがあり、その中心にほぞ穴だと思われる正方形の穴があけられています。

円形の穴の上には、ほぞ付きの円筒形の石が置かれ、ほぞ穴にほぞをはめて固定したのでしょう。
たぶん、円筒形の石を使った石灯籠の基礎石だと思われます。

石灯籠

ちなみに百済寺の境内には、宝篋印塔(ほうきょういんとう)がいくつかありますが、形状が違っています。
また同様に、五輪塔(ごりんとう)でも無さそうです。

つぎは百済寺の山をふもとへ下りていきます。

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