滋賀県の琵琶湖の東側には、湖東三山(ことうさんざん)とよばれる、古くから続く 3つのお寺があります。
龍応山 西明寺と松峰山 金剛輪寺、釈迦山 百済寺がそれです。
紅葉の時期も美しいですが、人気(ひとけ)の少ない時期も、趣(おもむき)があって良いものです。
百済寺に続いて、暖冬で雪がまったくない真冬の金剛輪寺を訪れてきました。

金剛輪寺の駐車場から、「黒門」と名付けられた総門をくぐって、拝観受付を済ませたあとは、西谷堂の手前を左へ曲がり、突き当りの「赤門」を見ました。
明寿院への入り口である、白門
赤門から白門への道 分岐点(左)庭園(奥)本堂(右)茶屋 金剛輪寺の白門
さて金剛輪寺の赤門から石畳の道を歩いてくると、国宝本堂と名勝庭園との分岐点に着きました。
国宝本堂は、500メートルほど登った先にあるそうなので、まずは名勝庭園を見に行きます。
明寿院(左) 明寿院(中) 明寿院(右)、庭園入り口
白門をくぐって明寿院の中に入ると、まだ庭園の中ではないのですが、すでに趣(おもむき)があります。
雪の重みで枝が折れてしまわないように、雪吊りがしてありました。
庭園への入り口 池泉回遊式庭園の説明
案内板にしたがって、右手の門から名勝庭園の中に入ります。
入り口には、味のある字で手書きされた、池泉回遊式庭園の説明板がありました。
池泉回遊式庭園の説明板の文字は、字の上手い人がわざと崩して書いているのだと思われます。
名勝庭園:南庭(桃山期の庭)
桃山期の庭(左) 桃山期の庭(中)、書院 桃山期の庭(右)
名勝庭園に入ると、まず最初は桃山期に作られたと推定される南庭が広がっていました。
池は小さいながらも、その中には石橋が架けられ、風流さを演出しています。
石段を登っていけば、奥の小山の上からあたりの景色を眺められそうです。
しかし残念なことに柵が設置されているので、入ることは叶いません。
茶室「水雲閣」と護摩堂 池の上に建つ茶室
南庭の中を奥へ進んでいくと、護摩堂とそこからつながる茶室「水雲閣」が建てられていました。
その茶室はすこし変わっていて、池中の礎石の上に立てられた柱の上に建てられています。
名勝庭園:東庭(江戸初期の庭)

護摩堂の前で曲がると、江戸初期に作られたと推定される東庭が広がっていました。
丘の上を見ると、簡素なあずま屋も建てられています。
書院回り縁、江戸初期の庭(左) 江戸初期の庭(中) 江戸初期の庭(右)
そのあずま屋の下あたりに見える縦長の岩群は、流れ落ちる滝を表現しているのだとか。
水こそありませんが、そう言われれば、ほとばしる滝の水が見えてくるようです。

なお書院の中に入ることは禁止されていますが、回り縁(えん)だけは開放されています。
その回り縁に腰掛けて、庭園を眺めるのも良さそうです。
名勝庭園:北庭(江戸中期の庭)

さらに奥へ進むと、江戸中期に作られたと推定される北庭が広がっていました。
池は細長く、奥の方まで続いています。
江戸中期の庭(左)、石橋 舟石、江戸中期の庭(中) 江戸中期の庭(右)
よく見ると池には、舳先(へさき)の上がった舟石が置かれていました。
その奥には、苔むした石橋も架けられています。
北庭の小中島 道はさらに山の中へ 遊歩道は通行止め
長い池の奥まで行くと、小さな中島が浮かび、橋まで架けられていました。
ちなみに庭園の奥からは、遊歩道が続いていたようです。
現在(2020年01月)は、枯れ枝が落ちていて危険なので、通行止めになっていました。
つぎは金剛輪寺の本堂への参道を登っていきます。
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