滋賀県の琵琶湖の東側には、湖東三山(ことうさんざん)とよばれる、古くから続く 3つのお寺があります。
龍応山 西明寺と松峰山 金剛輪寺、釈迦山 百済寺がそれです。
紅葉の時期も美しいですが、人気(ひとけ)の少ない時期も、趣(おもむき)があって良いものです。
百済寺に続いて、暖冬で雪がまったくない真冬の金剛輪寺を訪れてきました。

白門から明寿院の中に入り、さらに門をくぐって名勝庭園の中に入り、書院の三方に作られてはいるものの、時代の異なる南庭と東庭、北庭を見て歩きました。
本堂へと続く参道の両脇には

明寿院の名勝庭園を堪能したので、いよいよ本堂へ向かいます。
参道の入り口から見える石畳の様子では、勾配が緩やかでいたって登りやすそうです。

さて本堂への参道を歩いていると、両脇に何体もの石仏が並んでいることに気付きました。
最初のうちは気にも留めなかったのですが、歩けども歩けども石仏が無くなりません。
あとで判ったのですが、石仏群は本堂への入り口である二天門の階段下まで、延々と続いていました。
ちなみにこれらの石仏群は、「千躰地蔵(せんたい じぞう)」とよばれています。
物故者の追善供養、地蔵堂

地蔵堂は、物故者(ぶっこしゃ)の追善回向(ついぜん えこう)を勤めるお堂だそうです。
簡単にいうと、死者の冥福(めいふく)を祈る場所ということ。
「追善」も「供養」も「回向」もみな、死者の冥福を祈って、念仏やお経を唱え、供物やお布施(ふせ)をすることなので、おおむね同じ意味です。

入り口から屋根が見えていたので、石段を登っていくと、すぐに地蔵堂の前に着きました。
平成になってから新しく建てられたので、建物はあまり古びていません。
千躰地蔵は僧坊跡にも
かつての僧坊跡の入り口 敷地いっぱいの石仏群 すこし参道を登るとまた石仏群
地蔵堂から出てくると、参道をはさんで向こう側に石仏群が見えたので、見に行きました。
そこはかつて大きな僧坊だったようで、入り口の石段はゆるやかで扇状に広がっています。
石段を登り始めて、石仏群を見たときは最初、横一列に並んでいるのかと思いました。
ところが近寄ってみると、まるでマスゲームのように整然と石仏群が並べられていたのです。
ところ狭しと石仏群 水子地蔵 二天門はもうすぐ
千躰地蔵ともなると、参道だけでは置き場所が足りないので、僧坊跡にまで並べられているようです。
石仏群に見守られながら参道を歩いていると、ようやく奥に二天門が見えてきました。
本堂への入り口を守る、二天門
阿形持国天像 二天門 吽形増長天像
さて参道の最後の石段を登ってくると、二天門に着きました。
この二天門には、四天王のうち持国天と増長天が、左右に祀(まつ)られているそうです。
四天王の持国天 四天王の増長天
柵の中をのぞいてみると、どちらの像も腰に手を当てて拳を振り上げていました。
ただ拳を見ると、かつてはその手に何かを握っていたようです。
二天門の中へ入れるときに、それぞれが握っていた刀と三叉戟(さんさげき)を外したのでしょうね。
いよいよつぎは本堂を見に行きます。
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