久しぶりに、奈良市まで行ってみることにしました。
小学校の社会科見学で行って以来です。
前回は、長い参道を歩いて大仏殿にたどりつき、大仏殿の中を拝観しました。
正倉院は東大寺の中にある
大仏殿の回廊を東楽門から出て、北に歩いていきました。
突き当りにある北警備詰所の脇には、案内板がありましたので、ちょっと見てみることに。
その中で、一番気になったのは「正倉院(しょうそういん)」でした。

正倉院といえば、校倉造(あぜくらづく)りで有名な高床式倉庫です。
教科書で紹介されているので、知っている人も多いのではないでしょうか。
正倉院へ行ってみることに
そもそも正倉とは、重要な品物(宝物)を収めておく倉庫をいいます。
また正倉院とは、正倉がいくつも集められている一郭をいうそうです。
古くは、中央官庁だけでなく地方官庁にも、また大きなお寺にも、正倉があったそうです。
しかし、時代を経るごとに無くなっていき、最後に残ったのが東大寺の正倉院宝庫だそうです。
その教科書でしか見たことがない外観を、一度見てみたいと思い、正倉院へと向かいました。
正倉院宝庫で長い間保管されてきた宝物は現在、現代になって建てられた東宝庫と西宝庫に、分けて保管されています。
正倉院の入り口を探して
まずは礎石が整然と並ぶ、東大寺講堂跡の西側の道を通り、正倉院の南東の四ツ辻まで行きます。
塀に沿って西へ進んでいくと、すこし奥まったところに門がありました。
しかしその日、入り口の扉は閉まっていました。

どうやら、正倉院の中に入り宝庫の外観を見られるのは、平日に限られているようです。
ただ折角来たので、門前にあった正倉院についての説明だけは、きっちり読んでおきました。
往生際が悪いので
残念ですが、その場の思いつきで歩いているので、仕方がありません。
正倉院の門前を後にし、宮内庁正倉院事務所の南側の道を西へ歩いて、大きな道路まで出て、さらに北へと進んでいきました。

実は、正倉院の姿を垣間見れないものかと、正倉院の周りの道路を歩いていたのです。
しかし、鬱蒼(うっそう)とした森に阻(はば)まれ、ほとんど何も見えませんでした。
ちょっと、往生際が悪かったですね。
転害門まで
ふと、西の方を見ると、真っすぐ伸びた道の先に大きな門が見えました。
その門の壇(だん)の上は、柵で囲われていて、通れなくなっています。

実は、秋に祭礼を行う場所なので、立入禁止にしてあるようです。
その門は通れないので、門の外へ出るには、横の木戸をくぐるしかないようです。
その門の名前は転害門(てがいもん)といい、東大寺の門の中の一つです。
かなり歩いてきたと思いましたが、まだ東大寺の敷地の中なのでした。

まるで、お釈迦様の手のひらの上から出られなかった、孫悟空のようです。
あとがき
結局、奈良を大雑把にしか回れませんでしたが、むかし教科書で習ったモノや場所の位置関係が何となくつかめました。

しかし、奈良はまだまだ広いです。
これから、いろんなところを攻めてみたいと思います。
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