岐阜県揖斐郡揖斐川町(いびぐん いびがわちょう)には、鉈ヶ岩屋(なたがいわや)があります。
2022年9月1日の中日新聞 西濃総合面を読んで、はじめてその存在を知りました。
ということで、鉈ヶ岩屋を見に行ってきました。
ついでに、苔むした険しい岩場を通って国見岳にも登っています。

国見峠から、鉈ヶ岩屋まで来ました。
長くて険しい苔むした岩場


さて鉈ヶ岩屋から急勾配の坂道を登っていくと、ほどなく国見岳へと伸びる登山道に合流しました。
比較的歩きやすい道が続きますが、ときどき木の根が地面から顔を出します。


しばらくして植林地帯を抜け出ると、地面の緑が濃くなって、かなり長くて険しい岩場が始まりました。
大小の苔むした岩が無数に転がっているので、足場を確認しながら登っていきます。


坂道が向きを変えるところで斜面を見上げると、すぐそこに山頂らしき場所が見えました。
さらに岩場を登っていき、ようやく鬱蒼(うっそう)とした森から出られます。
KDDI管理地を探し回って

ようやく出られた明るい場所には、「KDDI管理地」の看板がありました。
携帯電話などの基地局にしては広すぎるので、保養所のような施設があったのかも知れません。


登山道の続きが見当たらないので、広場の中を探し回ることに。
念のため国見岳の山名板も探してみましたが、どこにもそれらしきものはありません。


そのうち森の入り口で、運良く「登山道」と記された案内板を見つけました。
目指す国見岳頂上は、もうすこし登った先にありそうです。
国見岳頂上は晴れず


さて、ふたたび無数の苔むした岩が転がる岩場を登っていくと、ようやく国見岳頂上にたどり着きました。
通常は木に取り付けられている山名板が、珍しく地面に置かれています。


国見岳頂上には、禿山(はげやま、別名:大禿山)への方角を示す案内板もありました。
脚に自信のある人は、禿山を経由して伊吹山頂上まで歩いていくそうです。

なお残念ながら霧が晴れることはなく、国見岳頂上からは景色を望めませんでした。
テレビ番組なら、後日晴れた日に撮影した映像を差し込むのでしょうけどね。
あとがき
のちに浄土真宗の東本願寺を建てた教如上人は、関ヶ原の戦いの直前、石田三成配下から追われるはめに。
浄土真宗の寺院を転々としながら、春日谷の奥深く、鉈ヶ岩屋に匿(かくま)われます。
功を奏したのは、草道島村(現在の大垣市草道島)西圓寺での身代わり作戦でした。
瓜二つだった西圓寺住職が、教如上人の法衣をまとって駕籠に乗り、目立つように中山道を西へ。
西圓寺住職は関ヶ原で殺されて、石田三成に偽物であることを見破られてしまったのだとか。
結局、教如上人は無事京都に帰れましたが、身代わりの西圓寺住職は道中さぞ恐ろしかったことでしょうね。
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