火縄銃ともよばれる鉄砲は、室町時代(1543年ごろ)に鹿児島県の種子島に伝来しました。
それ以降、鉄砲は日本各地で作られるようになります。
特に近江国の国友村(くにともむら)や摂津国の堺、紀伊国の根来(ねごろ)が有名でした。
その中の一つである近江国の国友村は、現在の滋賀県長浜市国友町を指しています。
長浜市へ買い物に行った帰りに、久しぶりに国友鉄砲の里資料館を訪れてきました。
国友鉄砲の里資料館へ
国友鉄砲の里資料館の所在地はうろ覚えだったのですが、ある程度近くまで行くと、案内板が出ていました。
県道510号線から国友の集落の中に入ると、道がすこし狭くなるので、注意しながらゆっくりと進んでいきます。

国友鉄砲の里資料館
さて国友鉄砲の里資料館の建物の前には、自動車 4台分の駐車スペースがあります。
到着したときには、たまたま自動車が無かったので、好きな場所に停めておきました。
ちなみに長浜国友郵便局の西側には、国友鉄砲の里資料館の第2駐車場があります。
基本的に大型バスを停めるための駐車場ですが、やむを得なければ仕方がありません。
まずは映写室で歴史のあらまし

資料館の玄関へ
国友鉄砲の里資料館の玄関から入って、まずは受付で入館料を支払いました。

国友鉄砲の里資料館の個人入館券
すると左側の映写室に案内されて、そこで短くまとめられた映像を見せてもらうことに。
その映像を見ると、国友の歴史のあらましが判ります。
- 火縄銃
- 薬研や花火の筒蓋、ほら貝
- 花火の火縄や玉
さて上映が終わると、映写室の明かりが点きますので、室内の展示品を見られます。
展示品の中には火縄銃もありますが、花火に関連したものがたくさん見受けられました。
江戸時代中期以降は平和な世の中が続いたので、徐々に鉄砲製造の注文が減っていきます。
そのころから国友では、火薬の知識を生かして花火を作るようになったそうです。
鉄砲造りの作業風景
- 踊り場の鉄砲
- 大筒
- 鉄砲についての展示室
順路に従ってつぎは、2階の鉄砲についての展示を見に行くことにします。
階段を上がると踊り場には鉄砲が、展示室への廊下には大筒が、すでに展示してありました。

鉄砲造りの作業風景
さて展示室を奥に進んでいくと、鉄砲造りの作業場の風景が見られます。
段階を追って説明してくれるので、判りやすいです。
ちなみに奥の壁には愛宕神社の火伏せのお札も貼ってありました。
当時は消火設備なども不十分だったので、神仏に頼るしか無かったようです。
鉄砲の完成品とその造り方
- 鉄砲の展示(左)
- 鉄砲の展示(右)
展示室の左側の壁一面には、数十丁もの鉄砲がところ狭しと展示されています。
ただ長短の差こそありますが、どれもこれもあまり代わり映えしません。
- 銃身の造り方
- 銃床の造り方
- 火薬入れと弾丸を作る道具
それに比べると展示の下の方は、鉄砲の造り方などが段階ごとに示してあり、興味深いです。
鉄砲造りは分業制で行われており、次の 3つの職業があったそうです。
- 鍛冶師 …… 銃身(銃弾が通る鉄製の筒)を造る。
- 台師 ……… 銃床(銃身を受ける木製の台)を造る。
- 金具師 …… カラクリ(引き金や火ばさみなど)や装飾金具を造る。
鉄砲体感コーナー

火縄銃に触れてみよう
展示室の中央には火縄銃が置いてあり、実際に触れるようになっています。
火縄銃のカラクリ部分が取り外してあるので、もちろん撃ったりは出来ません。
ただ火縄銃を構えて写真を撮ったりすると、撮影する角度によっては面白いかも知れません。
つぎは 1階の展示室を見に行きます。

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