火縄銃ともよばれる鉄砲は、室町時代(1543年ごろ)に鹿児島県の種子島に伝来しました。
翌年には、現在の滋賀県長浜市国友町(ながはまし くにともちょう)でも造られ始めます。
長浜市へ買い物に行った帰りに、久しぶりに国友鉄砲の里資料館を訪れてきました。

最初に映写室に入って、国友の歴史についての映像を見たあとは、2階に上がって鉄砲に関する展示を見てきました。
鉄砲鍛冶の家に生まれた、国友一貫斎

国友一貫斎の展示
さて 1階の展示室まで下りてくると、そこでは地元出身の国友一貫斎(くにとも いっかんさい)についての展示がありました。
国友一貫斎は江戸時代後期(1778年)に、国友の鉄砲鍛冶の家に生まれます。

火縄銃の各部名称
一貫斎はたいへん優秀な鍛冶師だったようで、火縄銃の造り方について、日本で一番詳しく解説した本を書いたそうです。
一貫斎の知的探究心は鉄砲だけに留まらず、それ以外にも様々なものに及びました。
一貫斎の作った、反射望遠鏡

一貫斎と反射式望遠鏡
国友一貫斎は、オランダから輸入された望遠鏡を参考にして、日本で初めて鏡を使った望遠鏡である反射望遠鏡を作りました。
望遠鏡の筒については、近くの長浜の金工師に作成を依頼したようです。
しかし反射鏡については合成する金属の割合を変えながら鋳造を繰り返し、レンズについてはガラスを研磨して、みずから仕上げました。
国友一貫斎が作った反射望遠鏡は現在、4基が残っています。
一貫斎が行った、天体観測

一貫斎の天体観測図
また国友一貫斎はみずから作った反射望遠鏡を用いて、月や太陽などの天体を観測しました。最初の望遠鏡は精度も低くて、観測対象の細かな部分までは見えなかったようです。
ところが望遠鏡の改良とともに精度も向上し、一貫斎も天体観測に慣れていきました。
作成された天体観測記録も、現在のものとあまり変わらない内容になっています。
月の表面はクレーターなどが細かく描かれ、比較的近くにある惑星の様子も描かれています。
特筆すべきは太陽の黒点の観測記録で、1年余りの間に 200回以上も行われました。
一貫斎が考案した、ねずみ短檠

ねずみ短檠(複製)
国友一貫斎は、鉄砲や望遠鏡以外にも様々なものを作っていたようです。
実物は見付かっていませんが、水戸藩の蔵書の中に設計図が残っていました。
その一つが「ねずみ短檠(たんけい)」です。
短檠とは丈の低い灯火台のことで、灯火台の上に載せた火皿に油を注いで芯を入れ、芯に火をともして夜の明かりに使いました。
火をともすと火皿の中の油が減っていくので、陶器製の「ねずみ」が口からすこしずつ油を出して補充してくれるようです。
洒落た無料シール

鉄砲の里・国友のシール
さて帰りに受付のおじさんと雑談していたら、国友の洒落たシールを見付けました。
来館者には無料で配布しているそうなので、1枚もらって帰りました。
ただ勿体無くて、どこにも貼っていません。
つぎは国友町をすこし歩きます。

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