旧中山道の岐阜県と滋賀県の県境付近には、「車返しの坂」と「寝物語」という、2つの史跡があります。
子どもの頃から、それぞれの謂(いわ)れについては、何度も聞いていたと思われます。
しかし場所が近いので、大人になるまでずっと、話がゴッチャになっていました。
ということで、久しぶりに見に行ってみました。
現在の車返しの坂

国道21号線の交差点「今須」の近くには、旧跡「車返(くるまがえし)」があります。
地元ではむかしから、このあたりのことを「車返」とよんできました。
ただそれでは他所(よそ)から来た人が判らないので、「車返しの坂」ともよばれます。
車返地蔵堂 国道21号線の切通し
現在、車返しの坂を上っていくと、突き当りに車返地蔵堂があって、行き止まりになっています。
車返しの坂は旧中山道の一部なので、つまり旧中山道が途切れていることになります。
旧国鉄東海道本線と国道21号線を通すために、山を削って 2本の切通しが造られたことがその原因です。
車返のいわれ
さて古代の関所である三関(さんげん)の一つに、東山道に置かれた不破関(ふわのせき)があります。
長らく機能していたのですが、南北朝のころには、荒廃していたそうです。
旅人が荒廃した不破関で、一夜の宿を借りることもあったのでしょう。
都に「不破関に泊まると、板だけになった屋根から、月の光が漏れてきて風流だ」という噂が伝わりました。

すると風流を自負するある貴族が、その光景を見ようと牛車(ぎっしゃ)に乗ってくることに。
地元の人びとは貴族が来ると聞いて、急いで屋根を修理してしまいました。
屋根が修理されたことを聞いた貴族が、牛車で引き返したのが、この坂だと言われています。
現在の寝物語の地

さて車返しの坂から国道21号線と東海道本線の踏切を横断して、滋賀県方面に進んでいきます。
すると、2つの石碑が立てられた、寝物語の地がありました。
子どもの頃に見たときは、ただ小川が流れているだけだったと思います。
ところがいつの間にか、小川に護岸工事がなされ、いろんなものが立てられてしまいました。

ちなみに歌川広重によって描かれた、浮世絵「木曽海道六拾九次」の今須宿には、寝物語の地である美濃国と近江国の国境(くにざかい)付近が描かれています。
建物に掲げられている看板に、「不破の関屋」と「寝物語由来」の文字が見られるので、どちらも地元では有名な話だったようです。
中山道は別名、木曽海道ともよばれたようです。
寝物語のいわれ
中山道の美濃国と近江国の国境には、今も小川が流れています。
その国境の小川を挟んで、両国の旅籠(はたご)が隣り合わせに建っていました。
美濃国と近江国のそれぞれの旅籠に泊まった人同士が、壁越しに寝ながら会話できたそうです。
それが寝物語とよばれる由来とされています。

むかしは人口が少なく、集落と集落とは離れているのが一般的でした。
別べつの集落の旅籠が隣り合っていたのが、よっぽど珍しかったようです。
実は今須宿の東側には今須峠という、越えるのが大変な難所がありました。
西から来た人が手前の今須宿に泊まったので、旅籠が増えて、近江国まではみ出したのでしょう。
今須峠の東側の山中集落には、正式な宿場ではありませんが、間(あい)の宿があったそうです。
あとがき
車返しの坂と寝物語について書き出してみたので、いろいろと情報を整理できました。
それによって、新しい発見もありました。
これからは、2つの史跡を間違えないで済みそうです。
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