伊吹山(いぶきやま)は、滋賀県と岐阜県にまたがる大きな山です。
標高が 1377メートルと、ボクにとってあまりに高すぎるので、これまで登るつもりはありませんでした。
しかし調べてみると、お手頃な高さのところに、山城跡や寺院跡があるようです。
米原市のホームページに、トレッキングマップが配布されていたので、それを片手に歩いてきました。

伊吹神社の石段を登って、本殿と京極氏一族の墓所を訪ねたあとは、上平寺城跡への登山道を登り始め、かなり広い曲輪跡らしき場所を散策しました。
もっと曲がっている?七曲りの道
ふたたび登山道へ スギの植林地帯 転がる大きな石
曲輪跡らしき場所から、ふたたび登山道を登り始めると、しばらくはスギの植林地帯を歩くことになります。
山の斜面が急勾配なので、右へ左へつづら折りの坂道を登っていきました。
七曲りの道(1) 七曲りの道(2) 七曲りの道(3)
スギの植林地帯を抜けると、あたりはブナやナラの雑木林になって、地面がデコボコし出します。
通称「七曲りの道」とよばれる場所で、道は曲がりくねり、敵軍が攻め込みにくい地形になっていました。
波打つ竪堀(1) 波打つ竪堀(2)
また敵兵が斜面を横に移動しづらくなる、竪堀(たてぼり)も多く見受けられるようになりました。
どうやら上平寺城跡が近いので、守りが堅くなってきたようです。
上平寺城の三の丸跡
三の丸の虎口付近 三の丸の中の土橋 三の丸の一番奥
ということで、ようやく上平寺城跡(じょうへいじ じょう あと)に着きました。
たいへん広い曲輪(くるわ)なのですが、端まで行って下を見ると、さらにいくつもの曲輪がありました。

土橋を渡ってさらに奥へ進むと、堀切に架かる土橋の手前に解説板「上平寺城跡」がありました。
その解説板には、解説文とともにカラフルな「上平寺測量図」が描かれています。
改めて京極氏遺跡イラストマップを見てみると、このあたりは「三の丸」とよばれる場所のようです。
いくつかの曲輪が寄せ集まって、巨大な曲輪を形成しています。
上平寺城の二の丸跡
二の丸と三の丸の境(左)、堀切 二の丸と三の丸の境(中)、土橋 二の丸と三の丸の境(中)、堀切
さて堀切に架かる土橋を渡ると、「二の丸」とよばれる場所に入りました。
道の両側と突き当りに高い土塁が築かれているので、攻めてきた敵は袋のネズミも同然だったと思われます。
せまい道を通り抜けて 二の丸の中 二の丸の土塁の上へ
そのせまい道を通り抜けると、広い二の丸の中に出ました。
今度は守る側の雰囲気を味わうために、ちょっと土塁の上に登ってみることに。

二の丸の土塁の上を歩いて、三の丸の方へ行くと、三の丸が下の方に見えました。
この段差は人工的に造られたものなので、お城造りは大変です。
上平寺城の本丸(主郭)跡
二の丸からの上り坂 分岐点から高台の上へ ようやく本丸跡
上平寺城の本丸(主郭)へは、さらに坂道を登っていくことになります。
分岐点から高台へと続く細い道を登っていくと、ようやく目的の本丸跡に着きました。
本丸跡(左) 本丸跡(中) 本丸跡(右)
本丸跡はけっこう広く、周りは土塁に囲まれています。
ただ土塁には 3ヶ所だけ切れ目があるので、そこから出入りしていたのでしょう。
向こうの山に弥高寺跡 近くに岩倉山、はるか遠くに養老山地
本丸の土塁の上を歩いていると、西の方角に弥高寺跡(やたかでら あと)が、南東の方角には霞(かす)んでいる養老山地が見えました。
つぎは伊吹山五合目方面に向かいます。
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