【滋賀】米原市上平寺と弥高の京極氏遺跡を巡る その5 (弥高寺の大堀切跡と本坊跡篇)

名所史跡めぐり
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伊吹山(いぶきやま)は、滋賀県と岐阜県にまたがる大きな山です。
標高が 1377メートルと、ボクにとってあまりに高すぎるので、これまで登るつもりはありませんでした。

しかし調べてみると、お手頃な高さのところに、山城跡寺院跡があるようです。
米原市のホームページに、トレッキングマップが配布されていたので、それを片手に歩いてきました。

近江国上平寺 京極氏遺跡イラストマップ
近江国上平寺 京極氏遺跡イラストマップ

上平寺城の本丸跡から下りて、伊吹山五合目方面に進み、弥高寺跡大堀切側から入るため、伊吹山頂上が見える小山の上まで登ってきました。

弥高寺の大堀切跡と大土塁

伊吹山頂上が見える小山の上からは、来た道を分岐点まで戻って、弥高寺跡方面に向かいます。
スギの植林地帯を通り抜け、さらに雑木林の中を下っていくと、正面に土塁が見えてきました。

弥高寺跡の大堀切
弥高寺跡の大堀切

土塁のふもとまで来ると、「大堀切」と書かれた案内板が置かれていました。
弥高寺一帯は、京極氏や浅井氏の領地を治めた戦国武将の手によって、城に改造されたそうです。

その際、背後からの防御を固めるために、大堀切が作られました。
さらには巨大な土塁(以下、大土塁)も造って、万全を期したのだと思われます。

弥高寺跡の大土塁に登って

大土塁をよく見ると、人の歩いた跡が上の方へ続いていました。
本来の道は迂回する道なのでしょうが、折角なので大土塁の上に登ってみることにします。

大土塁の上を歩いていくと、真ん中あたりに石灰岩で作られた石像が安置されていました。
最後は神仏に、勝利をお願いしたのかも知れません。

さて大土塁の上から谷側を見ると、薄っすらと横堀があって、その向こうに土塁が築かれていました。
弥高寺を改造した城の背後は、複雑な堀と土塁の組み合わせで守られていたようです。

弥高寺の本坊跡への道

ということで、いよいよ弥高寺の本坊跡に向かいます。
一旦、大堀切の分かれ道まで戻って、今度は大土塁を迂回する道を歩いてみました。

大土塁を迂回し終わると、すぐに本坊跡へと続く道が始まります。

大堀切跡から近いのかと思っていたのですが、本坊跡は近くに見当たりません。
つづら折りの道をしばらく下りていくと、木立の向こうに弥高寺の本坊跡が見えてきました。

弥高寺の本坊跡

弥高寺の本堂跡は、伊吹山中腹の標高 715メートル地点に広がる、たいへん広い曲輪(くるわ)です。
京極氏や浅井氏によって城に改造されたので、本堂跡の周囲には土塁が築かれていました。

その土塁の上を歩いていると、上平寺城跡へと続く道がありました。
道沿いには、役行者堂(えんのぎょうじゃ どう)と「行者の水」とよばれる湧き水があるそうです。

本坊跡は一応、発掘調査されましたが、状態が悪いため、どのような本坊が建てられていたのかは不明です。
ちなみに文献によると本坊は、約 13メートル四方の建物だったようで、1512年に焼失したそうです。

次は弥高寺百坊跡を見ながら下りていきます。

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