伊吹山(いぶきやま)は、滋賀県と岐阜県にまたがる大きな山です。
標高が 1377メートルと、ボクにとってあまりに高すぎるので、これまで登るつもりはありませんでした。
しかし調べてみると、お手頃な高さのところに、山城跡や寺院跡があるようです。
米原市のホームページに、トレッキングマップが配布されていたので、それを片手に歩いてきました。

弥高寺本坊跡(やたかでら ほんぼうあと)から参道を下りはじめ、「百坊」とよばれる僧坊群を見て、さらに大門跡を通り抜け、登り口の広場に着きました。
僧坊群と天狗杉へ
弥高寺跡登り口広場 上平寺城跡近道 まずは上り坂
弥高寺跡への登り口がある広場からは、近道を通って上平寺城跡に向かいます。
弥高寺本坊跡から、かなり参道を下ってきたので、今度は上り坂を登るはめになりました。

しかし上り坂は大して長く続かず、また新たな僧坊跡にたどり着きました。
別名「弥高寺百坊」といわれるだけあって、至るところに弥高寺の僧坊跡が点在しているようです。
分岐点(右)一本杉 天狗杉(一本杉)の根元 天狗杉(一本杉)を見上げて
さて上平寺城跡近道を歩いていると、「一本杉」と書かれた案内板を見付けました。
手持ちの上平寺城トレッキングマップによると、「天狗杉」になっていますが、多分同じ木でしょうね。
天狗杉を見るためにすこし道を下っていくと、ひときわ背の高いスギの木がありました。

名前の由来は判りませんが、弥高寺を開いたのが修験道の開祖である役小角(えん の おづの、別名:役行者)ということと、何か関係があるのかも知れません。
宝篋印塔と五輪塔
至るところに僧坊跡 遠くに見える石塔
僧坊跡がいくつも点在する上平寺城跡近道を歩いていると、遠くの方に 2基の石塔が見えてきました。

手前にあったのは五輪塔、木に隠れていたのは宝篋印塔(ほうきょういんとう)です。
近くでよく見ると、宝篋印塔に寄り添うように小さな五輪塔もあります。
これらの石塔は、もしかすると供養塔や墓石なのではないでしょうか。
両親と若くして無くなった子どものお墓のようにも見えます。
宝篋印塔とは、写経された「宝篋印陀羅尼」を納めるための塔のこと。
身分の高い人の供養塔や墓石としても用いられた。
もともと行者谷にあったものが、この場所に移設されたとの言い伝えがあるそうです。
行者谷との分岐点、行き止まり
横掛け道のはじまり 谷川を渡って
最後に宝篋印塔から上平寺城跡の近くまでは、横掛け道が続きます。
あまり起伏はありませんが、処どころで石だらけの谷川を渡らなければならないので、注意が必要です。
分岐点(左後)役行者堂方面(奥)上平寺城跡 分岐点(奥)上平寺城跡(右)僧坊跡行き止まり
途中には、行者谷の役行者堂を経由して弥高寺本坊跡へ続く道があります。
また行き止まりの僧坊跡へと続く道もあるので、案内をよく見て進むのが無難です。
険しい横崖道へ 高い段差を越えて 薬師谷の入り口
高い段差があったり、木の根っこが飛び出ていたり、ロープが張られていたりする、ちょっと危なげな横掛け道を歩いていくと、なんとか上平寺城跡近くまでたどり着けました。
あとがき
最初は上平寺跡と弥高寺跡を、2回に分けて訪れる予定でした。
しかしトレッキングマップを見ると、弥高寺跡のふもとには駐車場が見当たりません。
ということで、上平寺城跡から弥高寺跡まで一気に歩いてしまいました。
出発地点の上平寺集落の駐車場の標高が高いので、道のりが少なくて済んだようです。
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