関ヶ原鍾乳洞(せきがはら しょうにゅうどう)に、久しぶりに行ってきました。
鍾乳洞の内部を見終わりましたので、つぎは旧陸軍の火薬庫跡を見に行きます。
今なお残る立哨台

立哨台(りっしょうだい)は、関ヶ原鍾乳洞を出発してすぐに、道路の右側にあります。

立哨台とは、警戒や監視の任務にあたる兵士が、昼夜を舎(お)かず交代で立って、見張っていた小型の建物です。
戦時中は、国道365号線の交差点「玉」から、関ヶ原鍾乳洞へと続く県道229号線沿いに、立哨台が 6コも立っていました。
しかし、現在はそのうちの 3コ(旧スケート場前、県道229号線から丁字路を鍾乳洞の方へ少し入った所の三叉路、火薬庫跡の横)が残るのみです。
子どもの頃は、小さな交番だと

子どもの頃は、冬になると学校行事で毎年3回、関ヶ原国際スケートセンターに行っていました。
スケートセンターの入り口から見て、道路の向かい側に立っているコンクリート製の建造物(立哨台のこと)は、兵隊さんが見張る場所だということは、聞いていました。

ただ、子どもだったので、かたち的に小さな交番程度のイメージで捉えていました。
旧陸軍の火薬庫跡

立哨台のすぐ左隣には、旧陸軍の火薬庫跡があります。
正式名称は、名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原分廠(なごやりくぐんへいきほきゅうしょう せきがはらぶんしょう)といいます。
廠(しょう)とは、広くて壁がない建物のこと。

立哨台は、敵兵がこの火薬庫に近づかないように見張ったり、また、爆撃飛行機が襲ってきたことを知らせるためにありました。
見学者に向けてパネル展示

旧陸軍の火薬庫跡は、耐震基準も何もない戦時中に造られた建造物です。
いつ天井が崩れてくるかも知れず危ないので、奥の広い空間は立入禁止になっています。

その手前の火薬庫跡の玄関に当たる部分には、パネルが展示してあります。
この付近一帯に展開されていた火薬庫群について、子ども向けに解説してあります。
ただ、その内容は非常に興味深いものです。
火薬庫跡地には、遊園地やスケート場も

火薬庫全体図を見ると、火薬庫は広範囲に広がっていたようです。
むかし、このあたりには「関ヶ原国際スケートセンター」や「関ヶ原メナードランド」があったのですが、火薬庫の跡地に建てられていたことが、よく分かります。

水色に塗られた「半洞窟式火薬庫」の跡地の北半分は、貸しスケート靴置き場として再利用され、大量の貸しスケート靴が置かれていました。
クランクになった通路は、よく歩き回っていたので、記憶に残っています。
あとがき

子どもの頃、当たり前のように、スケート靴を借りに行っていた場所が、旧陸軍の火薬庫跡だったなんて、ちょっと驚きです。
今あらためて考えてみると、木が生えた土の下に、あんな巨大な空間があるなんて、おかしな話です。
いつ天井が落ちてくるか判らないので、もう二度と中に入ろうとは思いませんね。
遊園地 スケート場 塗り替える大人
まあ、当時の大人たちはすべて解っていて、娯楽施設を建てることにより、悪しき遺構を塗り替えようとしたのかも知れません。
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