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【滋賀】米原市上丹生の松尾寺山を巡る その4 (影向岩と松尾寺旧本堂跡篇)

名所史跡めぐり
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米原市の公式ウェブサイトでは、トレッキングマップがPDF形式で無料配布されています。
それによると米原市内の山やまには、トレッキングコースが整備されているようです。

今回はそれらの中から一番気になった、松尾寺山(まつおじやま)に登ってきました。
松尾寺山は、滋賀県米原市上丹生(まいばらし かみにゅう)にある低山です。

松尾寺山の見どころ
松尾寺への登山道と見どころ

松尾寺山地蔵峠から尾根筋を進み、偽装に使われた蔵王権現を経由して、山頂まで登ったあとは、つれあいを亡くした夫婦杉を見てきました。

坊院跡なのか曲輪跡なのか

夫婦杉からは、来た道を分岐点まで戻って、今度は松尾寺旧本堂跡に向かいます。
送電鉄塔の横を下っていくと、処どころに坊院跡または曲輪跡と思われる、平らな場所を見付けました。

坊院とは、本寺に属している僧の住処(坊)や小さな寺(院)のこと。
曲輪とは、城や砦を構成する区画のこと。

案内板はありませんが、人工的に山の斜面を平らにしたと思われます。
松尾寺旧本堂跡よりも奥まった場所なので、もしかすると奥の院があったのかも知れません。

ちなみにすぐ横の地面からは、苔むした石灰岩がいくつも露出しています。
その手前を、ひとの歩いた跡が右の方へ続いていたので、それに倣(なら)って歩いていきました。

てっぺんが平たくなった、影向石

さて松尾寺旧本堂跡に向かっていると、影向石(ようごう いし)への入り口がありました。
気になるので、松尾寺ハイキングコースから外れて、ちょっと寄り道します。

影向石とは、神仏が地上に降り立つ際に、乗り移るとされる石のこと。

影向石へと向かう道の谷側には、大量の大きな石灰岩が点在していますが、それらは関係ありません。
苔むした岩場を越え、さらに奥へ進むと、そびえ立つ大きな影向石がありました。

入り口の案内板によると、影向石のてっぺんには仏様の足跡が遺(のこ)されているそうです。
一応てっぺんを確認してみましたが、当然のごとく、それらしい痕跡は見当たりませんでした。

基壇だけが遺る、松尾寺旧本堂跡

ふたたびハイキングコースを歩き出すと、前方に松尾寺旧本堂跡らしき広場が見えてきました。
ただ道が急勾配になっているので、ゆっくりと注意しながら下りていきます。

ということで、ようやく松尾寺の旧境内にたどり着きました。
真ん中には由緒書があって、端っこには柱に使われていたと思われる角材が何本か積まれています。

本堂の建物は何も残っていませんが、基壇とそれを囲む石、柱を乗せた礎石だけは残っていました。
由緒書によると旧本堂は、昭和56年冬の豪雪によって倒壊したそうです。

旧本堂跡の近くにある坊院跡へ

新しい解説板によると、松尾寺の坊院跡が、松尾寺山の尾根に沿って大小 60 近くも確認されたそうです。
ただ、そのすべてを見て回るのは大変なので、近くにある坊院跡をいくつか見に行くことに。

旧本堂跡正面の石段を下りて、さらに坂道を下りていくと、正寿院跡といわれる広場に着きました。
そこから崖下をのぞくと、観妙院跡といわれる場所も見えます。

かつて松尾寺松尾寺村でもあり、民家は一軒もなく、村民すべてが僧侶だったそうです。

近江国輿地志略. 下(巻49至100) のコマ番号:111/241
国立国会図書館デジタルコレクションより

さらに松尾寺を歩きます。

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