【岐阜】関ヶ原町の松尾山に登って城跡を歩く その3 (松尾山城跡の曲輪篇)

森の中を歩く二人 城郭めぐり
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1600年の関ヶ原の戦いにおいて、小早川秀秋(こばやかわ ひであき)が陣地を置いたのは、岐阜県不破郡関ヶ原町(ふわぐん せきがはらちょう)にある松尾山(まつおやま)です。

先日テレビの地上波で、映画「関ヶ原」が放送されていました。
その中で、小早川秀秋の軍が松尾山に登っていたので、数十年ぶりに登ってきました。

【岐阜】関ヶ原町の松尾山に登って城跡を歩く その1 (駐車場から山頂へ篇)
1600年の関ヶ原の戦いにおいて、小早川秀秋(こばやかわ ひであき)が陣地を置いたのは、岐阜県不破郡関ヶ原町(ふわぐん せきがはらちょう)にある松尾山(まつおやま)です。 小学生の頃に 1、2回ほど友達数人で、今須の平井集落の登山口から登ったことがあります。 先日テレビの地上波で、映画「...
松尾山城跡遺構図

松尾山城跡遺構図(山頂のパネルより)

松尾山頂上まで登ったあとは、松尾山城の主郭跡を散策したり、はるか遠く北側に広がる関ヶ原古戦場を眺めたりしました。

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松尾山城跡の曲輪へ

さて一通り、小早川秀秋の陣跡でもある松尾山城の主郭跡を見て回ったので、松尾山を下りることにしました。

ところが松尾山登山口の方へすこし下りてくると、道らしきものがあるので気になります。
最初は帯曲輪(おびぐるわ)かと思ったのですが、奥へ進むとすこし開けた場所に出ました。

帯曲輪とは、曲輪の外側に設けられた帯状の細長い曲輪のこと。

まだこのときは、松尾山城跡遺構図をほとんど見ていなかったので、何も判らなかったのですが、何だか面白そうなので、すこし歩いてみることにします。

主郭の北西の帯曲輪

ふと主郭の方を見上げると、その下に平らな場所が見えたので、ちょっと登ってきました。

その場所は主郭の北西側にある帯曲輪のようでした。
地面の上は枯れ落ちたスギの葉で覆われていますが、明らかに人工的に造られた場所です。

畝と帯曲輪

畝の奥に帯曲輪と主郭(振り返って)

帯曲輪の西側には、細くてまっすぐな田んぼの畝(うね)のような土盛りがあります。
帯曲輪から畝まで何とか下りて、畝の上を渡ってくると、向かいには小山がありました。

主郭の西北西の曲輪

とりあえずその小山に登ってみるため、分岐点から小山の方へ登ってみます。
すると小山の頂上の入り口は、すこし土が抉(えぐ)られたようになっていました。

頂上に登ってみると、人工的に造られた平地になっていたので案の定、曲輪のようです。
現在は雑木林になっており、倒木もそのままで荒れていました。

主郭の西南西の曲輪

さて一旦、分岐点まで下り坂を戻って、今度はもう一方の道を進んでみます。
すると前方に小高くなった曲輪らしき場所が見え、坂道が上の方へと続いていました。

西南西の曲輪から大堀切

西南西の曲輪の上からのぞくと、先ほどまで居た西北西の曲輪と高さが同じぐらいです。
曲輪のあいだの谷は、戦略的に造られた大きな堀切になっているようでした。

堀切とは、山の尾根などを人工的に切って造られた空堀のこと。

送電線の交差点

西北西の曲輪に沿って歩いていったら道があったので、行けるところまで歩いてみました。
山道はどんどん下っていきますが、松尾山は超低山なので大したことなさそうです。

ひたすら下りてくると、周囲が山に囲まれ送電線が交差する場所まで来てしまいました。
すごい山の中に来てしまい、何だか不安になってきたので、引き返すことにします。

村

あとで調べてみたら、もうすこし下りると、ふもとの平井集落だったようです。

あとがき

数十年ぶりに松尾山に登ってみたのですが、大人になってから登ると、歴史的なこともいろいろと知っているので、見方が変わります。

お城

そのむかし松尾山城(長亭軒の城)があったことは今回、山頂まで行ってはじめて知ったので、登って正解でした。

出来れば松尾山城跡の曲輪に案内板などが立ててあると、お城好きの人に親切でしょうね。

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