岐阜県不破郡関ヶ原町(ふわぐん せきがはらちょう)には、松尾山(まつおやま)があります。
以前、松尾山の北東側ふもとにある松尾登山口から山頂まで登ってきました。
ということで、久しぶりに今須登山口からも松尾山に登ってきました。
松尾山の北側にはいくつもの史跡が点在しているので、訪ね歩きながら出発地点まで帰ります。
松尾山周辺地図 松尾山城跡遺構図
国道21号線の丁字路「平井口」から、平井集落まで行って、聖蓮寺へ寄り道したあとは、松尾山に登り始めました。
松尾山の林道から登山道へ
石の転がる林道 分岐点(左)松尾山頂上(右)ふもと
さて松尾山の今須登山口からは、石の転がる林道をひらすらまっすぐに登っていきました。
案内板のある分岐点に差し掛かったら、松尾山頂上の方へ曲がります。
今須ルート五叉路(左) 今須ルート五叉路(右)
さらにしばらく登っていくと、多方向へ道が分岐する五叉路に着きました。
いよいよここから、松尾山頂上へと続く登山道が始まります。
松尾山頂上へ続く道以外はどれも、行き止まりか道路欠損のため通り抜け不能でした。
松尾山頂上へ 登山道途中の喫煙所
案内板にしたがって、松尾山頂上への丸太階段を登り始めると、タバコの臭いが漂ってきました。
登山道に喫煙所を設けることで、タバコのポイ捨てによる山火事を防いでいるようです。

土橋を渡って公衆トイレ
登山道途中の祠 松尾山頂上へ
今須登山口から松尾山頂上へと続く登山道は、ほとんどの行程が緩やかな上り坂でした。
ときどき急勾配の丸太階段が現れますが、すぐに緩やかになります。
坂になった土橋 振り返って土橋の案内板
山頂を目指していると目の前に、土を人工的に盛って造られた土橋が現れました。
平常時堀切を渡るために設けられるものですが、拡幅されたらしく道幅がけっこう太くなっています。
馬出し状の曲輪の中へ 松尾山公衆トイレ
土橋を渡ると、周囲に土塁が巡らされた馬出し状の曲輪の中に入りました。
おあつらえ向きの広い平坦地なので、片隅には山小屋風の松尾山公衆トイレが建てられています。
桝形虎口を抜けて松尾山城主郭跡
桝形虎口を通り抜けて 振り返って桝形虎口の案内板
馬出し状の曲輪を通ってつぎの土橋を登っていくと、桝形虎口がありました。
L字状の土塁によって出入り口通路が曲げられており、敵兵がまっすぐ攻め込めないようにしてあります。
松尾山頂上 主郭(本丸)の案内板
桝形虎口を通り抜けると、松尾山頂上にたどり着きました。
山頂は周囲が土塁で囲まれた曲輪になっており、松尾山城跡の主郭(本丸)だったと考えられています。

関ヶ原の戦いのときには、西軍の小早川秀秋(こばやかわ ひであき)の陣が置かれていました。
合戦の最中に寝返って、大谷吉継の陣に攻め込んだことがキッカケで、徳川家康率いる東軍が勝利しています。
松尾山頂上からの景色
松尾山展望所 関ヶ原古戦場 史跡配置図
せっかく松尾山頂上まで登ってきたので、景色を眺めに展望所へ行きました。
設置されている関ヶ原古戦場 史跡配置図を参考にすると、史跡の位置がよく判ります。
8月後半の長雨のせいで、山頂に大きな水たまりができていました。
伊吹山、松尾山頂上から(左) 松尾山頂上から(右)、池田山
ただ小早川秀秋軍が攻め込んだ大谷吉継陣跡は、手前の木々に遮(さえぎ)られて、まったく見えませんでした。
西軍の石田三成が陣を置いた笹尾山は、簡単に見つかります。
つぎは松尾山城跡を歩き回ります。
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