【岐阜】不破郡関ヶ原町の松尾山を越えて その5 (松尾山展望地と大谷吉継陣跡篇)

森の中を歩く二人 名所史跡めぐり
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岐阜県不破郡関ヶ原町(ふわぐん せきがはらちょう)には、松尾山(まつおやま)があります。
以前、松尾山の北東側ふもとにある松尾登山口から山頂まで登ってきました。

ということで、久しぶりに今須登山口からも松尾山に登ってきました。
松尾山の北側にはいくつもの史跡が点在しているので、訪ね歩きながら出発地点まで帰ります。

松尾山周辺地図
松尾山周辺地図

松尾山頂上から松尾方面へ下ったあとは、脇坂安治陣跡自害峯の三本杉を見て歩きました。

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踏切を渡って若宮八幡神社へ

さてふたたび旧中山道まで戻ってきたら、西へ向かってさらに歩いていきました。
国道21号線に架かる歩道橋を渡って、集落の中を進むと大谷吉継陣跡・松尾山眺望地 駐車場に着きます。

大谷吉継陣跡を見に行くため、案内板にしたがって若宮八幡神社の参道を登っていきました。
踏切で JR東海道本線を渡ると、すぐ神社につきます。

若宮八幡神社のご祭神は、壬申の乱のときに亡くなった、弘文天皇(大友皇子)です。
皇位継承をめぐる争いで自ら命を絶ったので、天皇になったかどうかは判っていません。

若宮八幡神社の境内に入ると、物置の壁に大きな案内板が取り付けられていました。
大谷吉継陣跡までは、あともう少し登らなければならないようです。

大谷吉継になれる、松尾山眺望地

山道を登っていくと、大谷吉継陣跡松尾山眺望地との分岐点に着きました。
まずは松尾山眺望地を見に行きます。

松尾山眺望地はベンチの置かれた広場で、景色を眺めながら休憩できるようになっていました。
大谷吉継になれる、ちょっと派手な顔はめパネルも置かれています。

一番前まで行くと、正面に先ほど越えてきた松尾山が見えました。
ただ山頂に翻(ひるがえ)っているという小早川秀秋の軍旗は、肉眼では見えませんけどね。

大谷吉継はかねてより、小早川秀秋が寝返るのではないか、と疑っていたそうです。

大谷吉継陣跡と山奥の墓

さて来た道を引き返したら、今度は大谷吉継陣跡を見に行きました。
陣跡に建てられている石標には「大谷吉隆」と刻まれていますが、大谷吉継のことです。

大谷吉継陣跡からはかつて、正面に松尾山、眼下に東山道(中山道)が見えたそうです。
折角ここまで来たので、ついでに大谷吉継墓も見に行くことにします。

鬱蒼(うっそう)とした森の小径を歩いていくと、大谷吉継のお墓に着きました。
墓前に建てられている石標には、やっぱり「大谷吉隆」と刻まれています。

大谷吉隆墓は、昭和6年に「大谷吉隆墓」として国の史跡に指定されました。
吉継は関ヶ原の戦いの前に「吉隆」へ改名していた、という研究成果が当時採用されたため。

黒血川沿いを下って

来た道を戻っても面白くないので、大谷吉継墓からは作業道を下ってみました。
大谷吉継墓の近くには大きな石碑があったので、運び込むために整備されたのかも知れません。

しばらく作業道を下っていくと、関ヶ原町の山中地区と玉地区をつなぐ川沿いの道に出ました。
旧中山道へ戻るため、川沿いの道を下っていきます。

レンガ造りの古めかしいトンネルをくぐると、旧中山道に出ました。
道の横を流れていた川は、壬申の乱による流血で川底の石が黒く染まったという、黒血川だったようです。

さらに旧中山道を西へ歩いていきます。

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