三重県松阪市殿町(まつさかし とのまち)には、松坂城跡(まつさかじょう あと)があります。
立派な石垣がずっと気になっていたので、一度行ってみたいと思っていました。
実は小学生のとき修学旅行で、本居宣長(もとおり のりなが)の鈴屋(すずのや)を訪れたことがあります。
ただ遠いむかしのことなので、おぼろげな記憶しか残っていません。
ということで、松坂城跡を巡ってきました。
鈴屋のある本居宣長記念館にも行ってみたのですが、残念ながら休館日で入れませんでした。

松阪市駐車場へ
まずは、松阪市駐車場へ向かいました。
伊勢自動車道を松阪インターチェンジで降りて、県道59号線を道なりに進みます。
しばらくして阪内川を渡ったら、道路案内標識にしたがって、角かどを曲がっていきました。
程なくして、松阪市駐車場にたどり着きます。

実は月曜日の朝早く自宅を出発して、午前9:00には駐車場に着いたのですが、もう満車状態でした。
となりの松阪市民病院の駐車場も兼ねているので、午前中は混んでいるのかも知れません。
土日祝日に限って、松阪市役所駐車場が一般開放されているそうです。
松坂城表門跡と城名の変遷


さて松阪市駐車場から、みどりに覆われた高石垣の下を歩いていくと、松坂城跡の入り口に着きました。
高石垣の上には、のぼり旗が何本も立てられており、出迎えてくれているようです。


国史跡 松坂城跡の説明板を読み終えて、ふたたび坂道を登り始めると、表門跡(大手門跡)がありました。
正面には巨大な石垣が立ちはだかって、道が左右に分岐してしまいます。

分岐点には「松阪城跡」と刻まれた大きな石碑が安置されていました。
一時期「松阪城跡」と書き表していた頃に、茶道裏千家の千宗室の筆跡をもとに作られたものだそうです。
地名は、松ヶ島城主になった蒲生氏郷(がもう うじさと)が「松坂」と命名したのが始まりです。
明治の大合併のとき、「松阪」に変えて現在に至ります。
左右対称の歴史民俗資料館


分岐点からはとりあえず、松坂城天守跡を見に行くことにしました。
坂道を登っていく途中には、改修されて新しくなった、松坂城跡の中で最古に属するという井戸があります。


ということで、旧飯南郡図書館の建物を再利用した、歴史民俗資料館の前に着きました。
左右対称で趣のある佇まいですが、残念ながら休館日なので中には入れません。

ちなみに歴史民俗資料館の前には、判りやすいぶらり松坂城跡・散策マップが設置されていました。
もしかすると館内で、リーフレットとして手に入れられたのかも知れません。
遠見櫓跡と月見櫓跡と石碑


さて歴史民俗資料館からは坂道を登ったあと、売店の横から石垣の上に登ってみました。
つい先ほど通り抜けてきた表門跡や松阪市役所、城下の町並みが見えます。


右(北)側の遠見櫓跡へ進むと、無造作に積まれた石垣の上に大林省軒顕彰碑が建てられていました。
斎藤拙堂(さいとう せつどう)門下の、幕末~明治にかけて活躍した漢学者だそうです。


細い石垣を渡って月見櫓跡へ出ると、梶井基次郎文学碑が建てられていました。
松阪市を舞台にした小説「城のある町にて」を書いた人で、石碑にはその一文が刻まれています。
さらに松坂城跡を巡ります。
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